いまはむかし、一人の友人が1ヵ月余り毎週末に2時間ほどの練習を重ねた末、ようやく自転車に乗れるようになった。ふらふらぐらつきながらも倒れずに百メートル以上走った。転んで腕や脚にかすり傷をつくりながらの必死の努力が実った瞬間だ。
直前までペダルに足を乗せることさえできず、左右の脚で交互に路面を蹴りながら数メートル走っては倒れそうになって止まることを繰り返していた。それが、最後の練習を終えようとする夕刻になって、ペダルを漕いで走った。本人が直後に発したとおり、それは「奇跡」だったに違いない。
Once upon a time, one of my friends finally learned to ride a bicycle after practicing for about two hours every weekend for over a month. She ran for more than a hundred meters without falling over, even though she was unsteady and wobbly. She fell and scratched her arms and legs, but her desperate efforts paid off in a flash.
Until just before the race, she had been unable to even put her feet on the pedal. She had been kicking the road surface with her left and right legs alternately, running several meters and repeatedly stopping when she felt she was about to fall. Then, in the evening, just as she was about to finish her last practice, she pedaled and ran. It must have been a “miracle,” as she said shortly afterward.
自転車に跨がり足で路面を蹴り続ける彼女に向かって僕は、「地面を見ないで遠くを見ろ、下を見るから倒れるんだ」などと、きつい言葉を吐き続けた。「頭でわかっているのに体が動かない」と応じる彼女に「わかっていないんだよ」と返す、酷い脇役を演じていた。
倒れそうになって悲鳴をあげれば、「悲鳴をあげる余裕があるなら、もっと強く踏み込め」などと怒鳴りつけた。「肩に力を入れるな」「足を付かないでブレーキを掛けろ」「スピードを落とすためのブレーキなんだ」「体が曲がってるぞ、まっすぐに保て」などと、罵り続けた。何に向かって怒っていたのだろうか。
懸命に自転車と格闘する姿を見ながら、冷たく「これ以上練習したくない」「きょうで終わりにしよう」と突き放した。夕方4時になって「もう帰ろう」と言うと、「乗れるようになるまで帰らない」と応じる彼女の表情は真剣そのものだった。僕も帰るに帰れない。自転車に跨がった彼女の後ろを自転車に乗って追いかけ、追いつくと一回りしてまた後ろに付いた。公園で遊んでいた人々は帰ろうとして駅のある方に向かって歩いている。
こうして、最後の30分となる練習が始まった。ペダルを踏み込み位置まであげ、ブレーキを掛けて踏み込む体勢に入る彼女に向かって、「踏み込みが弱い」「スピードが落ちたら自転車は倒れるんだ」「ペダルにまっすぐ足を乗せろ」「がに股なんだ」「奇跡なんてない」などと怒鳴りちらす男を周囲の人々はどう見たろうか。
近くで野球に興じていた少年が二人の戯れるようすを笑いながら見ている。彼女は路肩の草むらに突っ込み潅木にぶつかりながら必死にもがく。倒れては起き、また跨がる。そんな動作を繰り返して草にタイヤを取られたかと思いきや、ふらつきながらも倒れないで舗装路に戻った。
後ろから大声で叫んだ。「踏み込め」「止まるな」「踏み込め」「踏み込むんだ」「もっと強く踏み込め」「いいぞ、もっと踏み込め」「その調子だ」「やったやったぞ、乗れた乗れたんだ」「いいぞ、乗れてるよ」「まだ行ける、もっと行け」彼女は力の限り踏ん張った。力が尽きるまで踏ん張っていた。
力尽きて倒れ込むように止まり、自転車を降りた途端、彼女は嗚咽し始めた。周囲の人々など目に入らないように止めどなく泪を流した。心身ともに限界に達していたのだ。長いあいだ、人々が軽快に自転車を走らせ、小さな子どもがいかにも楽に走るのを見ながら、いくら練習してもできない、むかし練習したときもできなかった、永遠にできないのではないか。そんな不安に苛まれていたのだろう。
泪を流したあとの彼女はいつになく輝いていた。頭にギリシャ神話の月桂冠のようにグレーのヘルメットを載せている。ついに彼女は自分に勝ったのだ。
As soon as she got off the bike, she started sobbing. She sobbed incessantly, oblivious to the people around her. She had reached her physical and mental limits. For a long time, she had been watching people riding their bicycles with ease, and watching small children riding with ease, and she felt that no matter how much she practiced, she would never be able to do it. He must have been tormented by such anxiety.
After shedding incapacitating tears, she looked radiant. She wore a gray helmet on her head like a laurel wreath from Greek mythology. At last, she had defeated herself.


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