
[以下、日本大百科全書(ニッポニカ)より引用、一部編集]
1893(明治26)年1月-98年1月、全58冊。発行所は4号まで女學雜誌社、以後文學界雜誌社。おもな同人は星野天知、平田禿木、島崎藤村、北村透谷、戸川秋骨、馬場孤蝶、上田敏など。キリスト教的改良主義にたつ『女學雜誌』の若い寄稿家を中心に発刊され、やがて女學雜誌社から独立するとともに啓蒙主義的立場から脱し、主我的で反俗的な浪漫主義の傾向を強めていった。後期浪漫主義を代表する『明星』に対して前期浪漫主義の拠点となった。初期は北村透谷の形而上的な評論、中期は客員格であった樋口一葉の小説や上田敏、平田禿木らの芸術至上主義的評論、後期は島崎藤村の叙情詩によって代表される。
1933(昭和8)年10月-44年4月。全119冊。発行所は初め文化公論社、ついで文圃堂、文藝春秋社と移った。いわゆる文芸復興期の機運のなかで小林秀雄、林房雄、武田麟太郎、川端康成、深田久弥、広津和郎、宇野浩二を編集同人として創刊。のち小林秀雄と河上徹太郎を中心に同人を拡大して昭和10年代(1935-44年)文壇の一大勢力となった。阿部知二『冬の宿』、北条民雄『いのちの初夜』、小林秀雄『ドストエフスキイの生活』、中村光夫『二葉亭四迷論』など問題作が掲載されたが、末期には「近代の超克」を特集するなど戦時色を濃くした。1947(昭和22)年6月、林房雄らによって文學界社刊として復刊され、全18冊を出した。
1949(昭和22)年3月から文藝春秋新社(のち文藝春秋)発行。現代を代表する文芸雑誌として多くの名作や新人を生み出している。
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