しばらく「凭れ合う人びと・隠れンヴィーニたち」という題で落ち着いていたのに、二週間ほど前、一人の女性にこの小説に登場する身体化したスマホについて説明したのがきっかけで、<凭れ合う人>から<手のひらを見る人>へ関心が移行しました。
旧題には二つの要素<凭(もた)れ合う人びと>と<隠れンヴィーニ>を盛り込んでいたので、少し無理があるとは感じていました。<隠れンヴィーニ>は隠れキリシタンとは違い、自分がその教徒であることを意識しない人々の意味で考案したもので気に入っていたのですが、小説の題としては弱いと考えていたのです。
小説の主題である<ンヴィーニ>という無宗教派の人々の最大の特徴は<凭れ合い>と<手のひらを見る>にあると考えています。でも、「凭れ合い、手のひらを見つめる人びと」だとピンと来ませんよね。みなさんにはどうでもいいことでしょうが…..以下、本文(未定稿)より引用します。
…..人々は睡眠を除くほとんどの時間、手のひらを見て過ごした。歩くとき、電車や地下鉄の到着を待つとき、電車の車内、エスカレータに乗っているとき、便座にすわっているとき、食事中、時間つぶしなど、家にいるときも外出先でも、いつも手のひらを見つめていた。車を運転するときや自転車に乗るときも手のひらを見ることをやめなかった。
歩くとき、人々は手のひらを自分に向け肘を九十度曲げて歩いた。電車の車内や駅構内の至るところで、手のひらをみながら歩かないように注意したが、それを守る者はいない。手のひらに保存された写真や動画を含むデータに自分だけの領域を見いだし、好きなニュースやマンガを読み、ゲームに興じて時間を費やすことが大半の人々の行動の形になっていた。歩きながら事故に遭う人も多く、駅ホームから線路に転落する人も絶えなかった…..
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