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[第一部の場所は日本島の都会、時期は一九八〇年ごろです。凭也(ヒョーヤ)がンヴィーニに関する観察メモをもとに熱く語ります。記録係による補足説明を[  ]内に入れ、凭也の話した部分と区別しています]

電車の発車を知らせる電子音が、駅のホームの上方からけたたましい音量で鳴り響く。ホームには出入口が二ヵ所あり、階段とエスカレータで上の階と下の階に通じている。それぞれを駆けおり駆けあがる人々の群れが電子音にせき立てられ、停車中の電車に向かって疾走する。体の半分ぐらいあるカバンを背負った少年、巨大な楽器を抱えた男、乳房を揺らす女、子どもの手を引く母親、引かれて悲鳴をあげる子ども、息が切れそうな人、(あお)白い顔の勤め人など、みな一斉に発車直前の電車に殺到する。

電車という動く寺院

電車に乗り込むと、人々はその日の新聞や好きな本を読み、それぞれの内面に沈潜する。会話を交わす人々は彼らにしかわからない言葉を話し、まわりの人々が理解できないことをひそかに喜ぶ。あるいは、当時流行の音楽付きイヤホンをして、自分を外界から遮断(しゃだん)する。その周囲にいる人々にはイヤホンからもれる音は騒音でしかないが、人々は我慢する。この電車の乗客は他人に敵対的な態度をとることが許されない。他者に対して自分の感情を抑え表出しないことが習性となった人々は、自分を守るために自他を隔てる特異な防御法を発達させた。

[凭也によれば、その発達を促したのは無宗教派のンヴィニ教です。ンヴィニ教の寺院は、電車網が広がっている地域のどこにも設けられ、数棟並ぶことも珍しくなかったようです。ンヴィニ教にも他の宗教と同じようにいくつか有力な宗派があり、都市部では電車の便のよいところに宗派を異にする寺院が軒を連ねたからです。ちなみに、凭也がいう「寺院」とは(おごそ)かな空気に包まれた神社や寺院、教会ではありません。二十世紀後半から日本島を席捲(せっけん)した北米発祥のコーヒー店や小型スーパーによく似た造りの建物です。以下、彼の観察が続きます]

鉄道の駅構内には各宗派の小さな分院が置かれ、日々大量生産される新聞や雑誌を人々に供給していた。これらの印刷物を通じて、人々は自分たちの精神世界が不断に豊かになると信じている。同じ分院には、小型の固形食料や液体飲料が護符(ごふ)として売られている。駅構内だけでなく、ほとんどあらゆる地域の至るところに自販機(じはんき)と呼ばれる賽銭(さいせん)箱が置かれ、人々はささやかな寄付の見返りとして缶入り飲料やタバコを受け取った。これらの行為は宗教行為と考えられるが、日常生活にきわめて巧妙に組み込まれているため、人々は自分たちが信仰にもとづいて行動していることを意識しない。ひたすら無信仰だと思い込み、恥じるところがない。

ラッシュ時の電車に乗り込んだ人々はみな立ったままだ。車内には座席がなく、ガラス窓付き冷蔵貨車そのものだった。そこで人々は密林の植物の茎と茎のように体を接して(もた)れ合い、かろうじて倒れないでいる。車内の温度は低く保たれ、夏だというのに寒いくらいだ。大きな冷蔵庫のなかで、人々は押し黙ったまま湖底の藻のように揺れる。電車が停止する前後に車両は大きく揺れ、人々はひときわ激しくからみ合う。一号車のあちこちで男と女、男と男、女と女の組み合わせが車両の揺れに体をあずけ、不器用(ぶきよう)愛撫(あいぶ)をくり返している。その周囲にやじ馬が群がり、電車が変速するたびに生じる揺れやカーブするときの揺れに抗しながら突っ立っている。ただ、みな体を接するだけで、隣り合わせになった以上の関係を求めない。自分のまわりの平穏が失われることを恐れ、手にした本や新聞・雑誌の世界に没頭(ぼっとう)する。読み物を持たない人々は車内の天井と側面に掲示されたポスターや窓外の景色をぼんやり見ている。車内にはイヤホンからもれる雑音と何人かの交わす会話が流れ、耳をつんざく音量の放送がときどき割り込んでくる。

ここは、ステンレス鋼とガラスで造られた電車という大きな箱型の伽藍(がらん)である。ンヴィーニにとって電車は寺院そのものであった。だから、運行者をあがめ、絶大な権限を与えていた。一人は先頭の車両にいて電車を操縦する運転手で、その意のままに連結された全車両がレールの上を運行する。もう一人は最後尾の車両にいる車掌で、車内ならぬ院内放送を通じて延々と説教をした。人々は時おり聞こえてくる放送をほとんど聞いていないつもりだが、その行動は知らず知らずのうちに毎日くり返される説教に支配されていた。

2-1(第2部のはじめ、公開)

わきびとたち

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