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[第三部の時期は二〇三〇年、場所は第一部と同じ日本島です。大半は凭也(ヒョーヤ)のメモからの引用ですが、記録係の時間軸が二〇二〇年で止まっているためか、よく理解できない記述が少なくありません。第三部の後半で記録係の意識において彼と凭也の境界が曖昧になり、記録の文体が乱れます]

老人たちとの再会

一月か二月の冷え込んだ日の午前中だった。日本島の首都の中心部にあり、その象徴ともいえるグローブ(球体の意)駅構内はいつものように多くの人で混み合っていた。みな一様(いちよう)にうつむいて手のひらを見ながら歩き、人や物にぶつかると頭を上げる。通路の壁ぎわに止まって見ていると、人々の動作はどこか機械的でロボットのようだ。その雑踏のなかに一瞬、むかし車イスに乗って球戯の審判をしていた老人を見たような気がした。いや、ゴー河沿いに走る列車の老人だったかもしれない。彼らが同一人物だったかどうかも不確かなのだ。いや、二人だったかもしれない。

二〇二〇年代を通じて車イスはすべて電動式になり、都会では軽自動車に取って代わるほどになった。どこでも多くの人が軽快に乗り回していたから、三〇年当時、車イスは特に珍しい光景ではない。いつもなら気にも止めないが、目に止まった車イスには四五十年ほど前に見た老人とそっくりな人が乗っていた。ただ、半世紀前の彼(ら)が生きているはずはない。打ち消そうとするが、何かがそうさせない。考えあぐねているあいだに、彼(ら)の強い引力に引かれ、そのあとを追っていた。その容姿と顔を見て必死に記憶の断片を拾おうとするが、思い出せない。二十歳の青年が七十歳の老人になるほどの年数が()っているのだ、と言い聞かせながらも、何が彼(ら)を同一人物と思わせるのか不思議でならない。

一九八〇年の夏、動くンヴィニ教寺院の三号車の老人は車イスに乗っていた。九〇年の晩秋、H市の列車で出会った老人は大股(おおまた)で歩いた。いま目の前にいる彼(ら)は上下とも黒い服を着ていて、当時と同じように白髪(はくはつ)が目立つ。彼らが同一人物だとすれば、百歳を超しているはずだが、一見して七十歳前後でむかしとあまり変わらない。ただ、以前の活気がなく、ひどくやつれて見えた。違う人ではないか、そう思いつつも車イスのあとを追った。グローブ駅の地下道を人々は軍靴(ぐんか)のような(くつ)音を響かせて行進し、車イスにぶつかっては横を過ぎ、小動物の群れのようにエスカレータに吸い込まれていった。人の集団が見えなくなると、構内はいっとき静けさを取り戻し、彼(ら)の車イスのモーター音と靴音が静かに響く。彼(ら)は長いエスカレータに乗って上がって行く。車イスはしっかりエスカレータに()み合い安定して水平に保たれ、彼(ら)は身動き一つせずに運ばれていく。

彼(ら)が乗っていた段が最上段に達すると、車イスはスムーズに放たれる。さらに進んで地上に通じるゲートを通過すると、かん高い電子音が鳴り、彼(ら)はひどく(おび)えた。すべてのゲートの出入りが記録されることを彼(ら)は知っている。日本島の住人は、短期滞在の異教徒を含め、この管理体制から(のが)れられない。島内にいる人々の行動がすべて監視されていた。長い通路を進んで地上に出ると、彼(ら)は道路の向かい側にそびえ立つガウディ建築さながらの高層ビルをめざす。駅構内からここまでずっとバリアフリーだから、車イスの動きが(とどこお)ることはない。車イスはビルの一階に突き出した建物にさっと入って行った。さまざまな品物を置いた(たな)が、人と車イスが通れるスペースを空けて並んでいる、巨大な倉庫のような空間の一角にテーブルとイスが置いてあり、カウンターも備えている。二千年ごろから日本島の津々浦々に普及したンヴィニ教寺院の典型的な建築様式だ。

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わきびとたち

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