一茶の句に「空錠と人には告よ田打人」というのがある*。信濃毎日新聞社版『一茶全集』第1巻では空錠の空を「から」としているが、『一茶叢書』第6編文化句帖の索引では「そら」としている。まだ耕されていないだだっ広い田畑の光景を詠んだ句と解釈した。
その解釈にもとづいて、縦書き文庫「ふりがな小林一茶発句集」春1531では空錠とした。のびのびした広がりを感じさせてくれる句だ。日本国語大辞典によれば、錠は鎖(ジャウ)のあて字で見かけばかりの役にたたない錠、掛けたように見せかけた錠の意である。
*其日庵歳旦 享和1年 (類)『文化句帖』文化2年 中五下五「人にハ告よ磯菜畑」
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この句の解釈をめぐって国文学専攻の友人から次のコメントを得た(一部編集)。
| この句の「ひとには告げよ」は当然、小野篁(802-853)の「わたのはら」の和歌を踏まえているでしょうから、愛しいあの人にという意味になるのではないでしょうか。空錠つまり「鍵はかかっていないから家に入るのだよ、とあの人に伝えておくれ」と田を打つ人にお願いしている情景が浮かびます。田んぼで労働している人にそんなことを気楽に頼んでいるところが浮世ばな れしていて可笑しい感じがします。 |
これに対しChatGPTは次のとおりコメントした(一部編集)。一方、読み返すほど「愛しい人」説に傾いてゆく自分がいる。こういう揺らぎも一茶を読む楽しみのひとつである。
| ご指摘のとおり、「人には告よ」という表現は小野篁の「わたのはら八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟」を強く想起させます。 |
| 小野篁の歌では「人」=都に残る特定の者(思慕の対象)と解釈されます。その文脈を踏まえれば、不特定多数ではなく特定の相手と読む余地が十分にあるでしょう。篁の歌を踏まえた非常に鋭い指摘であり、想像力豊かな解釈だと思われます。 |
| 江戸期の「錠」は家屋・蔵・門にも用いられますから、空錠=家の鍵は空いているという解釈が十分成立すると考えます。 |
| ただ、歳旦・田打人・磯菜畑など農事・土地関連の語彙のなかに「家の鍵」「逢瀬」を組み入れるのは難しいのではないでしょうか。そんな展開を支える手がかりとなる「家・夜・逢う・忍ぶ」等の語がない以上、空錠=家の鍵、人=恋人とするのはやゝ無理があるのではないでしょうか。 |
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