露の世ながら

露の世は露の世ながらさりながら おらが春文政2年 ふりがな小林一茶発句集秋1416

長女さと(文政1年5月4日生、翌年5月末没)を喪った直後に詠んだものだろう。人の世が露のようにはかないものだとわかっていても、なぜ満1歳を迎えたばかりの子を喪わなければならないのだ。代わりに己が死ねばよかった。そんな怨嗟に満ちたセリフが浮かぶ。

悲しみというより憤怒に近い情感が伝わってくる。何に向かって怒っていたのだろう。自らの人生の不遇だろうか、さとを死に至らしめた病魔だろうか、八百万やおよろずの神々だろうか、諸天善神だろうか、はたまた仏菩薩だろうか。あるいは、ただ虚無感に打ちひしがれていたのだろうか。

この句の前文を「おらが春」から引用する。

一茶「おらが春」露の世より
楽しみ極りて愁ひ起るはうき世のならひなれどいまだたのしびも半ばならざる千代の小松の二葉ばかりの笑ひ盛りなる緑り子を寝耳に水のおし来るごときあらあらしき痘の神に見込れつゝ今水膿のさなかなればやをら咲ける初花の泥雨にしをれたるに等しく側に見る目さへくるしげにぞありける
是も二三日経たれば痘はかせぐちにて雪解の峡土のほろほろ落るやうに瘡蓋といふもの取れば祝ひはやしてさん俵法師といふを作りて笹湯浴せる真似かたして神は送り出したれど益々よわりてきのふよりけふは頼みすくなく終に六月廿一日の蕣の花と共に此世をしぼみぬ
母は死顔にすがりてよゝよゝと泣もむべなるかな、この期に及んでは行水のふたゝび帰らず散花の梢にもどらぬくいごとなどゝあきらめ顔しても思ひ切がたきは恩愛のきづな也けり
一茶父の終焉日記・おらが春他1篇 岩波文庫

末尾の「思ひ切がたきは恩愛のきづな也けり」に着目したい。恩愛(親子や夫婦間の情愛)の絆は思い切りがたい。一般的に無常を嘆くのではなく、自らの経験にもとづいて断ち切りがたい親子の絆を詠んでいる。

さとに対する愛著は一茶が3歳のときに喪った記憶にない母親につながっているだろう。生後1ヵ月ほどで亡くなった長男とは違った深い喪失感をもたらしたに違いない。だから「露の世ながらさりながら」なのである。

Leave a comment