縦書き文庫「ふりがな小林一茶発句集」春3に次の句がある。文化2年(1805)発行の「文化句帖」に載っているこの句をどう読むか。
(1) 太郎槌うつの山辺や先霞む[春697]
はじめに、一軒の鍛冶屋があって太郎槌という大きな鉄槌を打つというか叩く金属音が高くあるいは低く響き、遠くの山麓に霞がかかっている光景を思い浮かべた。
次に、「うつの」の「うつ」が打つだけではなく鬱を重ねているのではないかと考えた。さらに数日経って読み返し、「うつの」の「の」は野ではないかと思った。すると、山辺ではなく野山辺となり、鉄槌で鉄を叩く音が野山辺に佇む僻村一帯に響きわたる情景がぐっと身近に感じられた。
(2) 太郎槌うつ野山辺や先霞む[春697]
作者がどのような情景を思い浮かべてこの句を詠んだのか定かではない。ただ、僕はこうしてこの句を読み返し、自分なりにいくつかの情景を思い描きながら遊んでいる。一茶の句はそれを許してくれるように思う。
一週間後、高校ほかで国文学を教える友人からコメントを得た。野山辺と読むのは無理があるという。宇津の山と現(うつつ)を掛ける例がよくあるので、次のように読めるのではないか、という。
(3) 太郎槌宇津の山辺や先霞む[春697]
たしかにこの読みのほうがすとんと入ってくる。「うつ」=打つに囚われていたことに無理があったようだ。宇津という地名にすると、きれいに収まるような気がする。
改めて考える、なぜ「うつの」をひらがなにしたのだろう。槌と山のあいだを漢字でつなげたくなかったのか。たとえば、次のようにしてもよかったのだろうか。
(4) たらうづち宇津の山辺やまづ霞む
いや、太郎槌の鉄らしい硬い響きを出すには漢字でなくてはならない。それに続く宇津はひらがなにする必要があったのであろう。句全体に重い槌の音を広げるために漢字を多用したのかもしれない。やはり、(1)の漢字かな混じり文に戻るのだろう。
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