一茶と禄盗人

  • 春148 ろく盗人ぬすと日永ひながなんどゝほたえけり
  • 春157 日永ひながなとろく盗人ぬすびとのほたえけり

上の2句は下五が同じで上五と中七が入れ替わっているだけのように見える。同じ情景をなぜ詠んだのだろうか。自分のことを「遊民」と認じ「娑婆塞」と呼ぶ一茶は、ここでは「禄盗人」と呼んでいる。娑婆塞も禄盗人も社会的には邪魔者であり落伍者だが、禄盗人は反社会的ですらある。

一茶は自ら非世間的で反世間的と自覚しながら、一方で世俗的な欲心も捨てていない。そういう優婆塞であることを熟知し、その思いや矛盾を俳句に表現することで自らを保っていた。だからこそ、さまざまな視点から自己とそれを反映した小動物や情景を謳ったのではないか。

禄盗人と娑婆塞
春148 ろく盗人ぬすと日永ひながなんどゝほたえけり
八番日記 政4
(異)『浅黄空』『自筆本』中七「日永なんぞと」『文政句帖』(政5) 上五中七「日永なと禄盗人の」『梅塵八番』下五「もだえけり」
春157 日永ひながなとろく盗人ぬすびとのほたえけり 文政句帖 政5
新年41 遊民/\とかしこき人に叱られても今更せんすべなく 
又ことし娑婆塞しゃばふさぎぞよ草の家 文化句帖 化3
ほたえる: ふざける/戯れる/浮かれる/騒ぐ
禄盗人: 仕事もできないのに高給を取る人
娑婆塞: 社会的な邪魔者 →優婆塞

冒頭の2句を我流に解釈すれば、「あの邪魔者が日永がどうのとふざけている」「日永だとさ、あの禄でなしめがふざけやがって」ぐらいになろうか。こういう自己否定を俳文にし、小動物たちの視点を身に付けることで自分を保っていたように思われてならない。

「遊民」「娑婆塞」「禄盗人」などの語は一茶における重要な主題だったから繰り返しさまざまな情景のなかに登場する。これを一つの仮定とし「一茶発句集」をさらに読み込んでいきたいと思う。

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