長の日に心の駒のそばへるぞ
『七番日記』文化13年3月、縦書き文庫「一茶発句集」春118に載っている句だ。<そばへる>は馬などが狂いさわぐ意のようだ(岩波文庫2003年)。春の日永にとくにすることもなく過ごしていると、心の駒(子馬)が狂おしく騒ぐというのだ。この句が数日前から引っかかっている。
一茶(1763-1828)が満51歳、菊と結婚して2年になろうとするころ、長男千太郎(1815年5月生)が産まれる少し前、一茶のなかで何が蠢いていたのだろうか。心の駒が単に産まれてくる子を暗示するとは思われない。まもなく長男は生まれるが、28日後に死んでしまう。そんなことを事前に察知することなどできない。何の胸騒ぎだったろうか。
上の句のあと文化13年5月に次の歌と俳句が載っている。<すこたん>は見当ちがいの意だという。くの字点がAndroidでは縦に長く表示され読みにくい(PCとIpadでは横並び)。
ばか〳〵し死ね〳〵〳〵[と]よしきりのあした夕に来つゝ鳴らん
ばか蛙すこたん云な夕涼 (縦書き文庫 「一茶発句集」夏2073)
彼は何かに不安を感じているか苛立っているようだ。歌で<死ね>が3回繰り返され自責の念に駆られているように思われ(他者に向かっているかもしれない)、句で蛙に向かって苛立っているようすが伝わってくる(蛙は作者自身かもしれない)。
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