一茶はよく老いについて書いている。彼は老いや老醜についてどう観察していたのだろうか。たとえば、新年の部に次の句がある(新年xxのアラビア数字は縦書き文庫版一茶発句集の各季節の通し番号)。
- 又ことし娑婆塞ぞよ草の家 文化句帖 化3 新年41
- 又ことし娑婆塞なる此身哉 七番日記 化11 新年42
- ことしから丸まうけ也娑婆の空 梅塵八番 政3 新年44
- 老が身の値ぶみをさるゝけさの春 七番日記 化7 新年85
- 小便もうかとはならずけさの春 文政句帖 政6 新年97
- すりこ木のやうな歯茎も花の春 七番日記 化10 新年131
- 爺が世や枯木もゆきの花の春 文政句帖 政8 新年137
- 春立や愚の上に又愚にかへる 文政句帖 政6 新年198
- 又ことし七五三かけ[る]也顔の皺 八番日記 政2 新年387
- 皺顔のかくれやはせん七五三飾 希杖本 新年391
- 歯固の歯一枚もなかりけり 八番日記 政2 新年650
- 台所の爺に歯固勝れけり 八番日記 政4 新年651
- 人並に歯茎などでもかためしか 八番日記 政4 新年652
- 人真似に歯茎がための豆麩哉 文政句帖 政6 新年653
- かたむべき歯は一本もなかりけり 希杖本 新年654
- 歯固は猫に勝れて笑ひけり 希杖本 新年655
- 女衆に出し抜れつゝつむわかな 七番日記 政1新年713
これらの句に書かれた内容が体験として理解できるようになったいま、一茶が自らを客観しながら老いと向かい合っていたことがわかる。僕もそうありたいと思うのだが、なかなか彼のようには達観できない。
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