一茶はなぜ小動物や虫けらの句を多く詠んだのだろう。この世に存在するものすべてが輪廻転生するという汎生命的な佛教の思惟ゆえだろうか。継母の虐めと実母の面影が彼を有情の存在に近づけたのだろうか。試みとして俳句や詩に表れた佛教的な生物観に着目してみた。
その特色を把握するため宮澤賢治(1896-1933)と一茶(1763-1828)の詩想を対照した。賢治は短い一生に非情の岩石や森や宇宙を題材にした詩と童話を多く書いた。一茶は65年の生涯で2万2千句の俳句を残し、有情の動植物や人々について多く詠んだ。
賢治は日蓮宗信徒団体の國柱󠄁會に属し、自ら法華経の行者と称した。一茶が生まれた柏原の住人はみな浄土眞宗の信徒だったようだが、彼はとくに念佛行に励んだわけではない。ただ、西方浄土を詠み六道の成仏を説く。賢治が農学を研究し短い生涯を農民に捧げたのに対し、一茶は農家の出身ながら、江戸滞在中はもちろん柏原に戻ったあとも農業に携わることはなかった。
ほとんど共通項がない二人だが、いずれも詩作や作句の基盤に佛教の説く生物観を持ち、一方はより多く非情界へ他方はより有情の生物界に向かった。宗派と非情有情の違いこそあれ、どこか共通するものがあるように思う。
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