一茶01: 日常なるもの

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子規が芭蕉を再評価した基準は、簡単に云えば、伝統的な和歌などの美意識との比較において、彼以前の美意識枠組みからの脱出にあったと理解している。 一茶はそんな芭蕉の美意識を引き継ぎながら、それを日常生活のなかでさらに徹底した。飯と排泄作用を直視し、身の回りにある自然や小動物を描き、市井の人々の暮らしぶりや年中行事、さらには生活の窮状を描くことで彼自身の貧乏生活を客観した。七番日記にみられる交合記録もこのような観点から捉えるべきかと考える。

翻って21世紀前半における日本の都市部あるいは農村部における生活はどうだろうか。日本独特のセンチメンタルジャーナリズムはそれらの実態をどこまで伝えようとしているだろうか。一茶の描写は決して感傷的ではない、また単なる写実主義でもない。そこに一茶調と呼ばれる彼の俳句の真骨頂がある。

この考察を春の仮説としよう。今後、夏秋冬を読み込んでゆくと、別の仮説が出てくることを前提しながら、仮説その1とする。

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