そもそも歴史的かな遣い(旧かな)とは何だったのか。僕の両親は20歳前後まで旧かな旧漢字で育ち、その後現代かな遣い(新かな)と簡略漢字に切り替えさせられた。同じころ現人神だった天皇は人間として再降臨した—–神話そのものである。[以下 Wikipedia より引用、一部編集]
歴史的仮名遣とは一般には、江戸時代中期の契沖(1640-1701)による契沖仮名遣を修正発展させ、平安時代初期までの実際の綴りを発掘したものを基としている[4]。明治から第二次世界大戦終結(1868-1945 大日本帝國の時代)直後までは公的に用いられており、戦後の国語国字改革の流れによって「現代かなづかい」が告示(1946)されるまで、正式な仮名遣として教えられていた[4]。
歴史的仮名遣の原理は仮名発明当初の表記をその後の発音習慣の変化(転呼)にかかわらず引き継ごうということであるが、現実的には本来の表記を完全に確定できるわけではない。資料に基づく研究は契沖に始まることにより、まだいくらかの誤りが含まれている可能性は充分にある。その例の一つが「机(ツクエ)」である。戦前長らく「ツクヱ」とされ、「突き据ゑる」などの意味であるとされてきたが、平安初期の文献を詳しく調べたところ、戦後の今ではヤ行のエ「突き枝(え)」が正しいとされ、「机(ツクエ)」と綴られる。
ほかにも紫陽花のように諸説あるものは多く、紫陽花は古形「あつさゐ(あづさゐ)」から「あぢさゐ」であるとされる。現在では訓点語学や上代語研究の発達により、大半は正しい表記が判明しているが、これらかつて疑わしいとされた、あるいは現在でも疑わしいとされる例は疑問仮名遣と呼ばれる[5]。
また誤用による仮名遣のうち、特に広く一般に使用されるものを許容仮名遣と呼ぶ。「或いは(イは間投助詞であるが、ヰやヒと綴られた)」、「用ゐる(持ち率るの意だが、混同によりハ行・ヤ行に活用した)」、「つくえ(先述のツクヱ)」などでの誤用である。
漢字音の古い発音や音韻を表記するため[注 3]につくられた仮名遣いを字音仮名遣と呼ぶ[7]。歴史的仮名遣における字音仮名遣の体系的な成立はきわめて遅く、江戸期に入って本居宣長(1730-1801)が『字音仮字用格』を著すまで正しい表記の定められないものが多かった[8]。現代仮名遣いの施行まで行われた明治以降の歴史的仮名遣では、字音仮名遣を踏襲したが、多くは宣長の研究によっているので『字音仮字用格』の影響は大きい[9]。
このように、広義の歴史的仮名遣にはこれも含むが、和語における歴史的仮名遣とは体系を別にするものであるから同列に論ずることはできない上に、そもそも字音仮名遣は表記された年代のほか、どの時代における音韻を基準とするかなどによって揺れが激しく、定見を得ないものも多い。
そのような成り立ちから歴史的仮名遣論者にも、「表語(表意)」を重視する立場から見て字音仮名遣を含めない者(時枝誠記・福田恆存・丸谷才一)と含める者(三島由紀夫)がおり、字音仮名遣と歴史的仮名遣に対する立場は一様ではない。前者の主張は漢字自体が表語文字だからということであるが、その場合漢字制限を指してこれに反発した。
以下、韓国語部分訳
일본 가나쓰기의 체계적인 성립은 매우 늦어, 에도시대(1603-1868)에 들어와 모토오리 노리나가(本居宣長 1730-1801)가『字音仮字用格』을 저술하기 전까지는 정확한 표기가 정해지지 않은 것이 많았다. 현대 가나쓰기가 시행되기까지 이루어진 메이지 이후의 역사적 가나쓰기는 자음가나쓰기를 따랐지만, 대부분은 노리나가의 연구에 의한 것이기 때문에 『자음가자용격』의 영향이 크다.
…애초에 자음가나쓰기는 표기된 연대 외에도 어느 시대의 음운을 기준으로 할 것인지 등에 따라 흔들림이 심해 정설로 인정받지 못하는 것도 많다. 이러한 유래로 인해 역사적 가나쓰기 론자 중에도 ‘표의’를 중시하는 입장에서 자음가나쓰기를 포함하지 않는 사람(토키에다 세이키, 후쿠다 코존, 마루야 사이이치)과 포함시키는 사람(미시마 유키오)이 있어 자음가나쓰기와 역사적 가나쓰기에 대한 입장은 일률적이지 않다. 전자의 주장은 한자(漢字) 자체가 표의문자이기 때문이라는 것인데, 이 경우 한자 제한을 지적하며 이에 반발했다.
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