一茶は50歳の2月(旧暦)に山吹の句を5句詠んでいます(岩波文庫「七番日記」)
- 鍬(くわ)かぢ(鍛冶)の山吹咲ぬそれさきぬ
- 山吹や牛つながるゝ古地蔵
- 山吹にぶらりと牛のふぐり哉
- 蘴(やまぶき)や天神様のむら雀
- 蘴や鼬(いたち)の娵(よめ)が手をかざす
「山吹にぶらりと牛のふぐり哉」について少し考えました。牛のふぐりは落ちそうで落ちないものを意味するそうで、俚諺に「落ちそうで落ちないのは20歳の修行僧、落ちそうにないように見えて落ちてしまうのは50代の僧」があるようです。
50歳のとき、一茶は歯もすべて抜け白髪になっていました。そんな老いた姿を落ちそうで落ちない「牛のふぐり」に重ね、いつ死んでもおかしくない自分を顧みたと思うのです。だから、山吹の葉の浅緑と鮮やかな黄色い花と牛の陰部を同時に描くことで美醜や老若を対比した、と考えました。
自分を徹底して客観視する彼だからこそグロテスクともいうべき「ふぐり」とみずみずしい春を象徴する山吹を対比した。糞(くそ)とか尿(しと、ばり)などを使うのも同じ趣向の表れでしょう。卑近な事物のなかに自らの生きざまを詠む一茶の真骨頂がこの句にも表れているように思います。
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