江戸時代の初期に俳諧を確立した松尾芭蕉(1644-94)は42歳にして「古池や蛙飛び込む水の音」を詠んだという。小林一茶が生まれたのは芭蕉の没後70年ほど経った1763年、現在の長野県柏原宿の農家である。3歳のときに実母を喪い、5年後にやってきた継母と関係がうまく行かなかった彼は、15歳のころ江戸の商家に奉公に出される。奉公先を転々としながら、しだいに俳諧の世界に入っていったようだが、その間の記録はない。
一茶の俳句は単に日常自然を詠むだけではない。それを生活において、また喜怒哀楽の相において細やかに観察し写生したものが多い。その対象である動物や植物ないし情景の内側に入り込むようにして感情移入し、それら観察対象になりきっているように見える。
俳句の門外漢ながら、芭蕉の句が観照的であるのに対し、一茶の句は主観的である。「古池や蛙飛び込む水の音」はいわば蛙を突き放して観察している。それに対し「痩蛙負けるな一茶是にあり」は単に蛙に呼びかけるというよりも、彼自身を色濃く投影している。自分と同じように痩せた蛙に自らの姿を見ているのである。
雀や猫などさまざまな小動物や自然の事象一つひとつに自分を映すのが一茶の句の特徴のひとつであろう。彼の句集を読み込むことを通じて、はじめて俳句の世界に入り込み、これまでの俳句観が一変してしまった。限られた音のなかに自らの思いや情景を鮮やかに映し出す、それが俳句なのだ。
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