Small works by Kyoka: 1893-1924

Written by

明治後半から大正ではない、19世紀後半から20世紀前半でもない、いわんや文明開化や大正デモクラシーでもない。大日本帝國(1868-1945)中期に書かれた泉鏡花の小品を読み、読書メモを発表年順に並べた。鏡花はこれらの小品を通して明らかに帝國軍隊を批判し戦争に反対していたと思う。

金時計(1893年): 日清戦争前における西洋人に対する日本人の感情を活写している。日本人を小ばかにする西洋人とその夫人をらしめる、日本の読者には小気味こきみよい作品だ。

外科室(1895年): 前半と後半のあいだにある場面の急変にまどわされた。外科医の手を借りて自ら死んでゆく伯爵夫人が青山墓地で、恐らくは同じメスで後追い自殺した外科医は谷中の墓地ということか。予想外の結末にもまどわされる。文学100選の一つ。参考: 「鏡花文学の研究 ―同時代的な背景の検討を通して」(白方, 佳果2015)。

夜行巡査(1895年): こういう作品が文学100選に入るのだな、と感心した。職務に忠実なあまり感情を押し殺してしまう官憲の主人公をよく描いている。当時の巡査に対する市井しせいの人々の見方を伝えているのだろう。日清戦争という時代背景も映し出しているに違いない。どの作品でも犠牲者は女性である。外科室と同じく、お香の後追い自殺も予想される。

海城発電(1896年): 中国の海城から発出された電信の意味だ。清軍の捕虜ほりょだった赤十字社の看護員は清軍の兵士たちを治療したことで清軍から感謝状を授与される。その後解放された看護員が日本軍の兵士たちに取り囲まれて国賊こくぞく売国奴ばいこくどののしられるなか訊問じんもんを受けるが、少しもひるむことなく赤十字社看護員の立場で傷病兵を助けただけだと信念を語る。最後の場面で、彼の情婦で日本軍のスパイとされる女性が連れ出され凌辱りょうじょくされるのを見て無言で退場する。その一部始終を見ていた外国プレス記者とおぼおしき者がロンドン向け電信を発出する。 「…日本軍の中には赤十字の義務をまっとうして敵より感謝状を送られたる国賊あり…また敵愾心てきがいしんのために清国てきこくの病婦をとらえて、犯しはずかしめたる愛国の軍夫ぐんぷあり…」

凱旋祭がいせんさい(1897年): 日清戦争の勝利にくある地方の公園を彩る毒々しい提灯ちょうちんや巨象、龍、むかで、人々が浮かれるなかに一人たたずむ若き戦争未亡人。漱石も日露戦争勝利を祝う表参道の行列について書いていたが。

革鞄かわかばんかい(1914年): 上野から高崎方面に行く列車のなかでたまたま隣りに坐った嫁に行く娘に一目惚ひとめぼれしてしまう男の話。片時かたときの恋愛と彼の半生を見ず知らずの乗客たちに向かって語る姿は真剣そのものでわらうに嗤えない。恋愛し一瞬にして狂人になったとする彼の必死さは感動的ですらある。

湯島の境内けいだい(1914年): おつた主税ちから(早瀬)のわかれの名場面。読み終えて、森鴎外の「舞姫」を思い出した。いずれも何ものかのために女性を切り捨てる。これを単に男女間の問題としてとらえていいのだろうか。鏡花が師事した尾崎紅葉作「金色夜叉こんじきやしゃ」(英訳 Economic animal)の主人公とK首相の顔が重なって見えることがある。何かにおもねり国民を切り捨てているようで腹立たしい。

雪霊記事(1921年)・雪霊続記(1921年): 二つの作品の鬼気きき迫る描写に圧倒される。蔦屋旅館の女主人は鷭狩の女主人と重なる。妖艶な女性に引かれ、大雪に埋もれながら虎杖いたどり村に行く主人公。彼をらえたものは一体何なのだろうか。

安易に歴史的な背景と結びつけることはできないが、韓国併合後の朝鮮の動向や第一次大戦後の世相がどんな形で反映しているだろうか。大正デモクラシーという歴史区分にだまされてはなるまい。作中に文明開花とかけ離れた江戸期が息づている。

鷭狩ばんがり(1923年): こおった月に照らされる山並みと霧に包まれた湖。その湖畔に一軒の旅館がある。前日まで団体客で混み合っていたが、その夜は主人公Yのほかに誰もいない。そこに女主人Sのパトロンが夜明け前の鷭狩のために訪ねてくる。嫉妬に駆られたYが狩りの時間を遅らせるようSに頼み、彼女がそれを受け入れたとき、二人のあいだに情が通い合う。鏡花文学の真骨頂しんこっちょうここにあり、というべきか。

光籃こうらん(1924年): 初出時の表題は「どじょうすくひ」、鏡花らしい若い女性のなまめかしさと行間ぎょうかんに息づく江戸情趣じょうしゅせられる。

参考: 泉鏡花論(越野格1980)

Leave a comment