日常の小さな事件がきっかけで、それに関係した人々が精神に異変をきたす。あるいは、かつて苦しんでいた状態を思い出させられる。そんなことがあるのではないでしょうか。それが自分の身に起きたとき、あなたはどうしますか。「ある水曜日の朝」(縦書き文庫)はそんな卑近な事件を扱い、そこに潜む非日常性を描こうとした作品です。十分に描けたとは思われず、習作としました。老習作集「少年老い人の性」に載せています。
ある水曜日の朝
東京都の南東部、大聖人ゆかりの池の近くにそのアパートはあった。三階建ての建物の真ん中を通る階段を挟み、各階に五十m2余りの部屋が二つずつある。HとNはその賃貸アパートの二階と三階にそれぞれ住んでいたが、顔を合わせる機会はなかった。生活のリズムが違っていたというより、二人とも仕事や趣味に没頭するあまり部屋にいる日常を顧る余裕を持たなかった。
Hは三十代後半の男性で公務員だった。週末は金曜の夜から登山に出かけ日曜の夜遅くに帰る。一週間ほどかけて縦走することもあり、たいていは単独行だった。Nは三十代半ばの女性で非常勤講師だ。関東地方にある複数の大学で韓国語を教えている。休日は正午過ぎまでベッドにいる。授業の準備に時間を取られ、大学間の移動に体力を消耗させられる、けっして楽な仕事ではない。このアパートにはNのほうが先に住んでいる。Hは元妻と別居するため数年前に引っ越してきた。
Hが離婚した年の九月半ばの水曜日、毎週やってくる資源ゴミ回収の日の朝だった。突然、ガラスがコンクリートに激しく当たって砕け散る、けたたましい音の連鎖がアパート内に響きわたった。いったい何が起こったのだろう—-不安に駆られてHがドアを開けると、二階から一階まですべての段々に大小のガラス片が散乱し、朝の陽光を受けて輝いていた。その下段のほうに、取り乱したようすのNが部屋着のまま突っ立っている。ゴミを収集場所に出そうとして階段を下りる途中、手に持っていた空き瓶の入ったビニール袋が裂けてしまったのだ。「すみません」「ぼおっとして…」と、ひたすら詫びている。階段にかすかに酒の臭いが漂っていた。
動転したようすのNに向かって「怪我はありませんか」と言うと、Hはすぐ開けたままのドアから自室に入り、ベランダにあった箒とちりとりを取ってきた。Nも三階の部屋に戻り、同じ掃除具を持ってきた。こうして、Hが掃除した一段一段をNがさらに掃除するという奇妙な合同作業が始まった。透明な青紫や緑色をした大小さまざまの破片を見ながら、Hは「何本落としたのか」「아침 이슬*の小瓶だろうか」などと考え、無言で作業を続けた。Nと一緒にいるだけで、しばらく忘れていた幸福感に満たされるような気がした。
| * 朝つゆの意。韓国の焼酎ブランドの一つ、同名のフォークソング(キム・ミンギ作曲)がある。70年代前半にヤン・フィウンの歌声とともに大流行し、75年パク独裁政権下の韓国政府により、その体制を批判する曲として<禁止曲>に指定された。 |
何度か見かけただけなのに、あるいはだからこそHは数年前に引っ越して挨拶したときからNのことが気にかかっていた。そんな思いはおくびにも出さず、黙々と最下段まで掃除を終えた。アパートの玄関をゆっくり開けて外に出ると、二人ともガラス片を載せたちりとりを壊れ物でも運ぶように両手で支えながら道路を渡り、ごみの収集場所で一緒にしゃがみ込んだ。たがいに頭をぶつけそうな位置にあり、Hはかなり緊張している。Nはまだ落ち着きを取り戻していない。
尻もちをつきそうな姿勢をしたNの膝からすねにかけて盛り上がった筋肉が肉感的だ。二人で掃き集めたガラスの破片を大きめの空き瓶に少しずつ詰めていった。「あっ、ちょうど一杯に」、Nがうれしそうにつぶやく。ガラス片をこぼさないように注意しながらビニール袋に入れ、最後にHが固く袋の口を閉じた。間近にいてその作業を覗きこむNの洋服の胸のあたりがたるみ、その奥で二つの房が揺れる。
朝の事件のためいつもより遅く出勤したHは、気持ちが高ぶっていたせいか一日中不思議な幸福感に包まれていた。嫌なことがあっても苛つかない。そして、日が経つにつれ以前よりもNに会いたい気持ちが増していった。
ガラスの事件があった日から二週間後の水曜日の朝、Hがいつものように小径車で歩道をゆっくり走っていると、Nによく似た背格好の女性が前を歩いているのに気づいた。速度を落としてしばらく観察し、彼女に違いないと確信したので、追い越すときに振り向いて「おはようございます」と声をかけた。だが、反応がない。人違いだったのだ。彼女に会いたい気持ちが幻覚を生じさせたのか。通り過ぎた以上、後戻りして確かめる術もない。
Hは小径車をアパートの階段の最上階に置いていた。十月半ばのある週末、彼は山にも行かないで自宅で過ごしていた。午前、屋上に通じるドアの前の踊り場で自転車の手入れをしていると、その真下にあるNの部屋のドアが開いた。突然かなりの音量でビートの効いた軽快な音楽が流れてきた。ドアはすぐ閉められ、彼女は出かけたようだった。音楽をつけっぱなしにしたということは誰かいるのだろう、と考えながらHは手入れを続けた。
しばらくすると、Nは女友だちと二人で帰ってきた。最寄り駅まで迎えに行ったのだろう。自転車の手入れを終え階段を下ってNの部屋の前を過ぎるとき、女性たちの楽しそうなやり取りと笑い声が聞こえてきた。ドア越しでよく聞こえないが、日本語ではない言葉で話しているようだった。おそらく韓国語であろう。物静かそうにみえるNに意外にも快活な面があることを知り、Hは何となく安心した。
一階にあるNの郵便受けには南宮とある。てっきり日本人名だと考えていたが、韓国人の名前かもしれない。韓国語だとすると、남궁(ナムグン)となる。そういえば、彼女の顔形はどこか韓国の仮面劇タルチュム(탈춤)で使われる仮面(タル、탈)に似ている。日本の能面と違い喜怒哀楽の表現が豊かな面が多い。タルになぞらえてNのさまざまな表情を想像しながら、Hは一人ほくそ笑んだ。
次の週の水曜日、朝立ち寄るところがあって、Hは珍しく電車で通勤した。偶然、少し前をコンビニから出てきたNが駅のほうに向かって歩いていく。Hが徐に彼女のあとを付いて行くと、改札の手前でNが何か小物を落としたのに気づかず改札を通ろうとしたので、Hは彼女を呼び止めて渡そうとした。落とし物は渡したが、またしても人違いだった。このことがあってから、彼は自分の精神が病んでいるのではないか、と思うようになった。
ガラスの事件があってから一ヵ月余りしか経っていないのに、どうしたのだろう。どうも自分が自分でないような、空疎になったような気がして仕方がない。ガラスの破片が体内に入り脳神経に害を及ぼしているのではないか。あるいは、Nが自分の魂を奪ったのではないか。そうに違いない、などと考えた。
自分がどんどん追いつめられ矮小化されていくのが辛く、耐えがたい。仕事は何とか続けていたし、週末の登山もやめなかったが、どちらにも以前のようなやりがいも楽しさも感じなくなってしまった。まさに地獄界の精神状態に陥ったのだ。Hは完全に行き詰まったように感じた。
Hは十代の後半に似たような閉塞感を経験していた。彼の家庭が崩れ始めたころで、数年後に父親が家を出て女のもとへ行った。Hは毎晩のように家を脱け出して数時間さまよい歩いた。とにかく疲れるまで歩き続けた。そうすることで、かろうじて自分を保っていた。真っ暗闇の地底を行ったり来たりした時期だ。いまの状況に似ていなくもないが、何かが違う。地底にいるのと地獄界にいるのは似て非なるものだ。当時はまだ、そのことに気づいていない。地底では次の録音テープが傷ついたレコードのように繰り返し回る。それを耳にすると、彼は鉱山の縦坑を降下するエレベータに乗せられたような息苦しさと重圧を感じた。
「こちらは廃人廃品回収のための回収車です。ご家庭内や事務所でご不要になりました廃人、廃品(テレビ・エアコン・オーディオ・パソコン)など、大きなもの重たいもの、どんなものでも回収いたします。機械的あるいは精神的に壊れていても構いません。何でもご相談ください」
廃人品回収車が回ってくると、Hは何の思考もできなくなった。彼には世の中から抹殺され処分されるという恐怖があった。一方で、ときに自分でも制御できない力に突き動かされることがあった。精神までは壊されていなかったのだ。
いま地獄界にいる自分を認めるようになったHは、あの水曜日の朝に砕け散ったのはガラス瓶ではなく、自分の精神が粉々になって壊れたのだと考えた。だから、そこから脱出するには自分を再構築するしかない。とはいえ、ガラス瓶は元に戻らない。はたして人は元に戻れるだろうか。まずは精神が壊れる前の自分が無自覚にやっていたことを取り戻そう。嘆くことも考えることもやめ、何かに向かって突き進むのだ。何日も悩んだ末の結論だったが、何とも説得力に欠ける。Hはまともな判断力を失っていた。だから、十代のような衝動を欲したのかもしれない。
あの水曜日の朝、あるいはNの精神も異常をきたしたのではないか。いや、その前から異変があったかもしれない。彼女は気づいていないだろう。それを自覚するように仕向けてあげよう。そんな押しつけがましい使命感のようなものまで作り出した。そうすることで、Hは自分の内面から湧いてくる弱々しい力を感じ、その感官がまた彼に力を与えた。すべて独りよがりの考えに違いないが、そもそも地獄界という閉塞状況にある者が他者に対して何をできるというのだ。相手を同じ状況に陥れることしかできないだろう。Hはそれには気づいていなかった。
次の水曜日の朝、Hは颯爽と二階のドアを出ると三階に行き、Nの部屋のドアを叩いた。二人の精神と日常を取り戻すための扉を開けようとして、高鳴る心臓の鼓動を全身で感じ、震える脚をかろうじて保ちながら叩いた。ドアの向こうではビートの効いた音楽が大音量で響いている。なのに何の反応もない。ドアを叩き続けながら、ふと不安になり、Hは階段を小走りに下りて行った。
一階の郵便受けを見ると、はたしてNの名前がない。呆然と立ちつくしたまま、Hは階段を見上げた。どうしたことだろう。彼女がアパートにいないなんて、そんなはずはない。さっきドアを叩いたときも、部屋からビートの効いた音楽が響いてきたではないか。三階のドアの前を通るときはいつも聞こえた音楽が幻聴だというのか。もう読者はお気づきだろう。あのビート音はH自身の心臓の鼓動そのものだったのだ。そのあまりにも激しい音量のため、彼には外部の音に聞こえたようだ。混乱した頭を抱えたまま、Hは一階の玄関ドア近くに立ち尽くしていた。
階段はジャロジーの乱反射のせいで正面奥にあるコの字階段の壁面がまぶしく輝き、どこまでも段々が上がっていくように見える。あの日Nが見た光景もこれだったのだ。そう思い込んだHは祈るようにじっと階段を見上げ、壁の先に何があるのか見きわめようとした。それはかつて彼が地底で見た光景に似ていた。Hがそのことに気づいていたかどうか。地獄界から必死に這い上がろうとする彼にそんな余裕のあろうはずはなかった。(完)
あとがき
この短編小説で描いたガラス瓶の破片の輝きが韓国焼酎 아침 이슬 (アチム・イスル)を思い出させた。それが 김민기(キム・ミンギ)作曲になる同名の曲につながるのは、彼と同世代の筆者にとって当然のことだ。彼が低い声で歌うその曲が地底から聞こえてくる。「いったい五十年の歳月は何だったのか」と問いかけんばかりに。
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