「いつか名もない魚になる」(縦書き文庫)は三部からなる。認知症患者とされる主人公による社会観察と非日常的な体験をもとに「無宗教社会」を描写した習作である。
| 「いつか名もない魚になる」第三部より |
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| 手のひらを見つめる人々 |
| 人々は睡眠を除くほとんどの時間、手のひらを見て過ごした。歩くとき、電車や地下鉄の到着を待つとき、電車の車内、エスカレータに乗っているとき、便座にすわっているとき、食事中、時間つぶしなど、家にいるときも外出先でも、いつも手のひらを見つめていた。車を運転するときや自転車に乗るときも手のひらを見ることをやめなかった。歩くとき、人々は手のひらを自分に向け肘を九十度曲げて歩いた。駅構内の至るところで、手のひらを見ながら歩かないように注意するが、従う者はいない。手のひらに保存された写真や動画を含むデータに自分だけの領域を見いだし、好きなニュースやマンガを読み、ゲームに興じて時間を費やすことが大半の人々の日常になった。歩きながら事故に遭う人も多く、駅ホームから線路に転落する人も絶えなかった。 [二〇三〇年までにスマホが画期的変化を遂げ、スマフォと呼ばれるようになったようです。二〇年代と違って、手のひら自体がその機能を果たしたらしいのです。記録係には想像しにくいのですが、凭也はそれらしい動作をすることがありました。スマホを手に持っていないのに、あたかも手のひらにあるように操作し、熱心に説明するのです] 左の手のひらを指でこすると、左手にスマフォ画面が立ち上がり、両方の手のひらを合わせてこすると両手に画面が表示される。画面サイズの拡大縮小もできる。スマフォの下辺が手首に接し、画面全体が手のひらの上に浮いて見える。画面はいつも見やすい角度に保たれ、指を立てたりそらせたりして画面の角度を自在に調整できる。画面の解像度がはるかに向上し、以前ほどのぞき込む必要がない。立ち上げたスマフォ画面を消すには、もう一度手のひらをこすればよい。体の一部がスマフォになった感覚なので、置き忘れや落下の心配はなく、倒れて手のひらをついたときは自動的に消える。生体の新陳代謝にもとづく微弱電流を利用したからバッテリーもいらない。カメラのレンズ機能は人差し指か中指の爪に納められ、シャッターは同じ指の指先にあって、親指の指先で軽く押すだけだ。録音用のマイクとスピーカー機能も指先にあり、入力は音声か指で行われる。音声入力の場合は手のひらを口の近くに持ってきて小声で話せばいいし、手のひらに反対の手の指で文字を書けば文字入力もできる。手のひらをかざすだけで、別紙に書いた文章や画像をスキャンできる。手洗いや入浴時には画面を消せば、ただの手のひらになる。手のひらにプロジェクション・マッピングされた旧型のスマホ画面を想像すればよい。 ただ、スマフォが普及するにつれ、人々はますます自閉し、他者の意見を聞かなくなった。自分の体の一部に映し出されるものを自分だと思い込んだ人々は自分の手のひらばかりを見た。入力も電話も手のひらに向かうだけで、写真も動画も自在に撮れたから、盗撮がさらに巧妙化した。周囲も他者も顧ない、自閉症とスマフォ依存症を合併した症状を持つ人が巷に溢れた。二〇二〇年代はじめに新型コロナウイルス感染症が世界中に猛威をふるい、外出が禁止された時期の状態が日常化したのだ。親子を含む家族内の衝突が増え、親が殺され、子が虐待される事件が多発した。自分の利益を守り正当化するのに汲々とする人が増え、職場や学校でもいじめや殺傷事件がふつうになった。さらに禁句が増えて自由な会話が制限され、人々が口にする言葉が空疎になった。 [コロナ後の数年間、官製マスクの着用が義務づけられ、言論封じ込め手段の一つとして日本島の支配層に利用されたことがありますが、それが常態化したのです] スマフォの普及とともに、旧支配層による無宗教派の取り込みが一気に加速される。二〇年代後半には、旧テレビも旧新聞もスマフォに取って代わられ、これら旧メディアの入っていた高層ビルが無用の長物と化し、ハイジン教を含む無宗教派の寺院や教会のセンターに変貌していく。センターの一階に二〇年代のコーヒーショップやコンビニに似たスペースがあるのはその名残である。 |
「いつか名もない魚になる」の続篇として「ヒョーヤと仲間たち(1)」を執筆中で、二作品とも「無宗教社会を生きる」として縦書き文庫に掲載している。このサイバー文庫がなければ、僕は「無宗教社会」で窒息していただろう。文庫の運営者に深くいつも心より感謝している。
| なぜ「無宗教社会を生きる」を書くのか |
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| 無宗教社会などありはしないのに、一九四五年夏以後、日本島にくらす人々は自分たちの社会が科学的で非神話的な社会に生まれ変わったと考えたようだ。それ以前の社会が非科学的で神話的で狂信的だったとしたわけではないが、その年の八月をもって時代の断絶を創出し、「一億総懺悔」という宗教的な「拠りどころ」を人々のあいだに浸透させた。ただし、人々が自ら考えてそうしたわけではない。彼らは長い年月、天皇を現人神として崇め、巧妙な監視体制のもとで考える能力をなくしていたから、このときもまた何者かが巧妙に仕組んだのだ。天皇は神のまま天上界に隠れることもできたはずだが、何と神を人間界に降臨ならぬ降格させるという奇策をもって元号の連続を図った。それを伝統と呼ぶならば、そのとおりなのだろう。ただ、このことが人々に少なからぬ混乱と困惑をもたらした。その精神的後遺症のひとつが筆者が<無宗教>と呼ぶ症候群の集団発症だった。今風にいえば、無宗教症のクラスターが全国規模で起こったのだ。ただ、この精神疾患はほとんどの人に自覚症状がない。 十九世紀後半、明治時代に入ってから大日本帝國は<富國強兵>という名のもとに、清朝中國や旧ロシア帝國と戦争をし、現在の台湾・韓国・北朝鮮を植民地にして中国の東北地域に満州國を樹立した。一九三十年代には中国内陸部と東南アジア地域に戦域を広げ、四十年代には米国と戦争するに至る。その過程で双方の兵が殺しあい、大日本帝國軍は自國とアジア地域の人々の平和な生活を壊し人権を蹂躙して殺戮した。その一方で五族協和という融和政策を唱えアジア解放をうそぶいた。二〇二二年のロシアによるウクライナ侵攻とそのプロパガンダは、かつての大日本帝國による侵攻と報道管制のようすを彷彿とさせる。一九四五年八月に無条件降伏し、大日本帝國は瓦解したかにみえるが、その残滓は今も日本社会のどこかに温存されている。いや、残りかすどころではない。明治百五十年だ、鉄道百五十年だと、機会を捉えては旧帝國を礼讃する行事を行い、美化された明治帝國のイメージ定着を図っている。最近二十年の自公保守政権とその周辺勢力のなかに旧帝國回帰を願う思惑が色濃く漂っているではないか。 再び一九四五年直後の日本島に戻ろう。当時、日本社会には雨後の筍のように<新興宗教>が勃興した。多くは戦前の似非宗教に対する反動ゆえに同じく非宗教だったが、人々は宗教も非宗教も区別できないまま、これら新興宗教に取り込まれるか無宗教を決め込んだ。創価学会はそんな時代に全国で折伏という名の布教活動をくり広げた。その仏教運動は既存の仏教各派や神道キリスト教等を邪宗邪教として一蹴した。その大衆運動に驚き戸惑った人々は創価学会を略して「学会」と呼び、会員を「学会員」と呼んで忌み嫌ったが、その実像を理解することはなかった。人々はメディアや反対勢力が叫ぶままに「学会」を「貧乏人と病人の集団」と呼んで蔑み排斥した。この集団の統率のとれた会員の活動だけをみて全体主義と評する者すらいた。問題は、こういう言説がまことしやかに語られ、多くの人々に受け入れられたことにある。 翻って二〇二三年、日本島に暮らす多くの人々の「宗教」観は二十世紀後半からほとんど変わっていないようにみえる。むしろ無宗教性がさらに深まり、スマフォ依存症とその延長上にある心的露出症が蔓延している。 戦前の天皇を中心とする国家神道に対する反動から「無宗教」がよしとされ普通とされる戦後の日本社会において、神社での祈祷は「信仰」とは違う伝統と考えられ、正月にはみな神社に参詣する。また、葬儀や法事には僧侶に読経してもらい念仏を唱えることが死者に対する弔いであり通過儀礼とされる。戦前と同じようにいずれも「信仰」とは異なるものとして扱われ伝統行事のなかに取り込まれる。筆者は、仮説として現代日本社会を「無宗教社会」と呼ぶ。この作品もその仮説を前提している。 「無宗教社会」では、何かを「信じる」者は非科学的とされ、「信仰」を持つ者は弱者として疎んじられる。「信仰」を説き、宗教団体に勧誘する者はうさん臭いものになってしまう。長いあいだ思想と情報の統制下に置かれ自ら考える習慣を持たなかった人々は自ら思考する力を失っていた。その状況は戦後八十年が経とうとする現在も大きく変わってはいない。そんな人々の思考と信仰の真空域に「学会」が現れ、社会的な反感を買ったのである。 「学会員」となることは「信仰」を持つことを宣言するだけではない。人々が習俗として取り込んできた既存の神仏を否定する。それを知りながら、バンジャは「学会員」になった。周囲の人々に侮られ陰口を叩かれて夫に嫌われながらも「学会員」になる選択をした。なぜだろう、何が彼女を仏教運動に赴かせたのだろう。そして、バンジャに反抗し続けたヒョーヤは「学会」と「学会員」をどう受け入れたのだろうか。ある家庭における親子二代に及ぶ時代と彼らの生きざまを通して考えてみた。 |
| From the latter half of the nineteenth century, under the name of “Wealth and National Strength,” the Japanese Empire went to war with countries that are roughly equivalent to today’s China and Russia, colonizing what is now Taiwan, Korea, and North Korea, and expanding its territory by establishing Manchukuo in the northeastern region of China. In the 1930s, it expanded its war areas into inland China and Southeast Asia, and in the 1940s, it went to war with the United States. In the process, soldiers from both sides killed each other, and the Imperial Japanese Army deprived the people of these regions of their customs and culture, violated their human rights, and slaughtered them. On the other hand, the Imperial Japanese Army advocated “harmony among the five races” and claimed the liberation of Asia. Russia’s invasion of Ukraine in 2022 and its propaganda are reminiscent of the invasion by the Empire of Japan and its control of the press. Although Japan surrendered unconditionally in August 1945 and the Empire of Japan seemed to have collapsed, I believe that the remnants of the Imperial Japanese Empire still exist in some parts of Japanese society. After the war, new religions sprang up like bamboo shoots after the rain. Many of them were non-religious as well, as a reaction against the false religions of the prewar period, but people blindly followed them without being able to distinguish between religion and non-religion, or decided to have no religion. In such an era, the Soka Gakkai spread its proselytizing activities, known as shakubuku, throughout the country. Its Buddhist movement kicked out existing Buddhist sects, Shintoism, Christianity, and other religions as paganism and pagan religions. People called the Soka Gakkai “Gakkai” for short and abhorred its members, calling them Gakkai members, but few people understood the true nature of the movement. People who were surprised and perplexed by the mass movement called the Gakkai an abominable organization and scorned and ostracized it, calling it “a group of poor and sick people.” Fearing the momentum of this group, some people even described it as totalitarianism based only on the superficial observations of its well-organized members. In 2023, the view of “religion” of many people in Japanese society had hardly changed from the late 20th century. Rather, irreligiousness has deepened further, and smartphone addiction and its extension, brain-exposure disorder, are widespread. In postwar Japanese society, where “irreligion” is considered acceptable and normal, perhaps as a reaction against the emperor-centered state Shinto of the prewar era, praying at shrines is considered different from “faith,” and everyone pays homage to shrines on New Year’s Day. In addition, at funerals and Buddhist memorial services, people are asked to recite sutras and chant the Buddhist prayer to the dead, which is considered a mourning and rite of passage for the deceased. As in the prewar period, these are treated as something different from “faith.” The author calls contemporary Japanese society a “non-religious society” as a hypothesis. This work is also based on that hypothesis. In a “non-religious society,” those who “believe” in something are considered unscientific, and those who have “faith” are marginalized as weak. Those who preach “faith” and invite people to join religious organizations are regarded as shady. People who have been under the control of ideas and information for a long time and who do not have the habit of thinking have lost the ability to think for themselves, as they always had been. This situation has not changed much in the 80 years since the end of World War II. The Gakkai appeared in the vacuum of people’s thoughts and beliefs as described above. Becoming a Gakkai member is not only a declaration of one’s “faith.” It is a denial of the existing gods and Buddha that people have taken in as a matter of custom. Knowing this, Hyooya’s mother became a Gakkai member. She made the choice to become a Gakkai member even though people around her belittled her, talked about her behind her back, and her husband disliked her. Why, I wonder, did she choose to become a member of the Buddhist movement? And how did Hyooya, who continued to rebel against her mother, accept Gakkai and Gakkai members? I have tried to think about this through the times of two generations of parents and children in a family and their way of life. Translated with www.DeepL.com/Translator |
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