Christianity in Korea

常石希望つねいしのぞむ氏の論文「韓国における初期キリスト教受容の要因」より抜粋し、以下に引用します。愛知大学語学教育研究室紀要「言語と文化」2005-2008年の第13/17/19号に掲載されたものです(句読点や段落ルビ等を一部編集し、[ ]内に補足しました)。

…..重要なのは歴史的要因群=準1次的要因であった。例えばそれらのうち,官吏かんり収奪しゅうだつおよび日清・日露戦争という2重の歴史現象を理由にたまたま「教会が民衆の避難所」となったとか,また特に韓末期以降の「無政府・無宗教」状態という歴史的偶然を契機けいきとして,韓国人はキリスト教を受けれやすい状況に置かれたりしたが,残念ながらこうした歴史的状況は日本には全く存在しなかった。

日本におけるキリスト教「不」受容の最大要因を一点だけあげれば,それは天皇制神道という日本独自の宗教ないし国民的基層文化と,それを推進し続けて来た明治以来の日本政府であり,その点はすでに多くのキリスト教識者が指摘してきた点でもある。換言すれば,日本キリスト教をはばんで来た最大の障害物は天皇制神道という日本教であり,それを推進し続けた日本政府であった。

もし仮に日本でもかかるキリスト教受容を阻む日本教や政府がなく,従って韓国のように「無政府・無宗教」であったとすれば,日本のキリスト教受容史は根本的に異なったものとなっていたであろう。

先に植村正久がこの韓国における「無政府・無宗教」を強調してげていたが,そこには自国日本の惨状と対比した韓国への羨望せんぼうさえ読み取ることができる。それ自体はキリスト教とは何の関係もない偶然的な歴史現象として,その時点にたまたま現れた「無政府・無宗教」状況とはそれほどに大きい役割を果したのである。

一般にこうした歴史的好条件がなければ,キリスト教受容が成立するのはきわめて困難であることは,先の澤正彦の言う北朝鮮の場合を見ればよく分かるであろうし,そもそも見ず知らずのしかも他国の宗教が何らかの「歴史的好条件」を欠いて,ただ単純に安易に受け容れられることなどまずあり得ないのである。

かかる歴史的要因として私たちは次の5点を挙げた。

  • キリスト教が西洋文明を運ぶパイプ役として理解された。
  • 韓国シャーマニズムや儒教思想とキリスト教思想の連続性(神概念や悪魔など)。
  • 官吏の収奪および日清・日露戦争という二重の理由により「教会が民衆の避難所」となった。
  • 「無政府・無宗教」という空白期にキリスト教が導入。
  • 神道国家日本による侵略の開始と遂行。
  • [*] 政治的庇護(特に日本の場合の[織田]信長時代,戦後GHQ時代,あるいは韓国では治外法権を有した宣教師下の初期教会や解放後の政治状況)

[*]を加えても良いであろう。いずれも,韓国キリスト教受容にとって不可欠ふかけつの歴史的要因群である。

しかしながら,いかに受容にとって不可欠であるとは言え,上の「歴史的要因」それ自体はキリスト教と教会にとっては本来無関係の,しかも偶然的要因に過ぎず,従ってそれだけでは受容を継続させ,受容を完成させることは出来ない。歴史的要因を契機としつつも,次にそれをキリスト教「内」的に,教会「内」的に宗教として純粋に受け容れる段階なくしては,受容は瞬時にして途絶とだえ消滅してしまいやすい。

従って,受容を最終的に決定付けるのは「宗教的要因(1次的要因)」にほかならず,その内容を主に4点にまとめた。

  • ネヴィアス[宣教師の名]方式・査経会사경회によって「高次の信徒概念」を形成 
  • 大復興会대부흥회や百万人救済運動などを通して「信仰の内面化」を経験 
  • 日帝支配を契機にキリスト教が対抗勢力の中心となり「民族的信頼」を獲得 
  • 「民衆」「民衆神学」

宗教であれ思想であれ,それが一国に受容されるには実に様々な複合的歴史関係が存すものである。従って,そうした多様な歴史的現象をあえて単純化し類型化しようとすれば,そこには必ずと言ってよいほど歴史への無視や歴史現象からの離反という誤謬ごびゅうを伴いやすい。

例えば最初の大規模キリスト教受容「ローマ帝国のキリスト教受容」に関しても,昨今のローマ社会史研究者によると,従来のキリスト教史観から見た「ローマ帝国キリスト教受容史」,特に「迫害」「殉教」「皇帝神格化と皇帝礼拝」等々の歴史的事実は余りにもキリスト教に都合よく一律的に解釈され,従って客観的な歴史や資料を歪曲わいきょくしており,根本的な見直しが必要であると言う。

つまり,従来のキリスト教界が示して来た「キリスト教史」(就中なかんずく「ローマ帝国によるキリスト教公認と国教化のプロセス」あるいは「ローマ帝国とキリスト教の関係」)については基本的な見直しが求められているのである。

韓国キリスト教受容論に関しても同様の指摘は今後可能であり,従って本稿はこれまでの筆者の研究の一区切りを示す「まとめ」に過ぎず,かつ現時点までの筆者の研究成果である点を最後に述べておきたい。

1884年に建設された初のプロテスタント教会堂ソレ教会(松川教会、黄海南道龍淵郡) 撮影1895年 (c)Wikipedia
1970年前後に平壌放送を聞いて「朝鮮語」を学び、その後韓国の航空会社や日米の財団に勤務しながら、多くの韓国人や在日在米韓国人と接するなか、いつも疑問に感じていたのは、韓国にクリスチャンが多いことです。この論文はその理由を歴史的・文化的要因をふまえ分析しています。
 論考に説得力がある理由の一つは韓国と日本のキリスト教の対比にあると思います。「農村と労働者と女子また漢文を読めない無学な大衆の間に広く普及定着」した韓国キリスト教と「明治以来、中上流階層の知識人のみを主体に受容されて来た」日本キリスト教の比較、大いに納得させられます。

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