福澤諭吉(1835-1901)の自伝『福翁自伝』縦書き文庫版を読み直した。何度か読んだが、率直さに溢れ赤裸々で歯切れのいい叙述はいつ読んでも新鮮で、そのときどきの僕を励ましてくれる。
諭吉の口述を速記者が筆記し彼自身が校閲したものだ。1898年7月から1899年2月にかけて時事新報に連載された。さらに加筆修正し単行本として出版する予定だったところ、同年9月に諭吉が脳溢血に倒れ、果たせなかったという。
よく見られる晩年の写真ではなく、若いころの写真を載せた。いまこそ「一身にして二生を」生きた諭吉の考えを理解し、時代と社会を変革しなければならないと切実に思う。諭吉が抜きん出ているのは「一身にして二生を」経ていることを自覚したことにあるのではないか。
同時代の社会と自らを客観視する稀有の能力の持ち主だった。それを可能にしたのは、少年期の体験に根ざす彼独自の社会観と歴史観であり、後年の数次に及ぶ米欧視察だったと思う。
明治期を理想化し憧憬する人々を信じてはならない。彼らの思いが天皇制国家、戦争国家に淵源をもつからだ。自公政権の危険性と脆弱さもそれに根ざしている。諭吉の著作や雑文のなかに幕末から明治期の日本の実像がある。「平和憲法」 という衣装を纏った「富国強兵」論がまことしやかに語られるいま、諭吉の考えが奈辺にあったかを知る必要がある。




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