平壌放送とBTS

「週刊金曜日」論考 2021.7.23 1338号
【タイトル】
平壌放送とBTS―韓国・朝鮮語教育を巡る環境の変化
【筆者】
小栗 章(おぐり あきら、元「国際文化フォーラム」プログラムオフィサー)

【本文】
20年前に雑誌『外交フォーラム』(2002年12月)に寄稿した文章を読み返した。日本の大学や高等学校における韓国語教育の実態調査に取り組んでいた時期に書いたので、「学校教育」の側から韓国語学習者を見ている。その一部を引用する。

「七十年代、日本でとらえられていた隣国のすがたは政治的な側面だけが突出していました…韓語(筆者注: 韓国語・朝鮮語)の教科書はわずか二冊、学習者はほとんどいませんでした。カセット教材などなく、韓国のラジオ放送や平壌放送を聞いて発音を覚えました…(02年当時)全国で5000名近い高校生と数万名の大学生(高校生の約0.1%、大学生の1-2%)が韓語を履修しています…彼らはハングルをかっこいいと感じ、韓国映画やKポップが好きで学ぶと言います…」

この文章から約20年後の現在、日本ではBTS(防弾少年団)に心酔する中高生が増え、韓国ドラマを視聴する中高年も「冬のソナタ」以来とどまることがない。若い世代を中心に韓国コスメの人気もすっかり定着した。

これらの事象を「ブーム」として捉える人が多いが、「ブーム」と呼ぶにはあまりに広く深いし多岐にわたっている。これらの「ブーム」を支える何十万何百万の人々が韓国文化に触れ、文化にまつわる経験をしているはずだ。

50年を振り返って、はたと思う。1970年頃、深夜暗い部屋でKBSラジオの海外同胞向け放送や平壌放送の乱数表(暗号)を聴いて発音を覚えた者とYoutubeでBTSの歌やインタビューを聴きながら韓国語を学び、その歌詞や発言に感銘を受ける現代の中高生や学生とのあいだに、50年という時間と明暗のほかにどんな違いがあるのだろうか、と。不必要な緊張を強いられずに好きなKポップを聴き、韓国語を身につける彼らを率直にうらやましく思う。ただ、自分たちの世代が恵まれていなかったとは思わない。両者ともに自ら好きで隣国の人々と文化に向き合っているのであり、その点ではいささかも異なるところがない。

とはいえ、五十年を隔てた両者を取り巻く文化状況は大きく異なる。日本における韓国文化の広がりと深まりは決して揺らぐことはないだろう。この五十年のあいだに人々の営みにより水嵩(みずかさ)を増した文化が滔々(とうとう)と流れているからだ。一方で、北朝鮮と日本の間には深い不信と疑心暗鬼が堆積している。日韓の政府関係も歴史問題をめぐって深刻な膠着(こうちゃく)状態にある。

あえて言いたい。日韓・日朝の政府・外交関係と日本における韓国文化の受容状況を並列し、同次元で論じてはならない。韓国文化を受容している現代の中高生や大学生が決して愚かな政治家や似非(えせ)ジャーナリストに振り回されないことを信じ、日韓・日朝関係の将来を君たちに託したいと思う。【転載禁止】

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