「日帝時代」は朝鮮半島や台湾あるいは満州国にだけあったのではない、日本島にもあったと考えるべきではないか。反論もありそうだが、一つの仮説として有効ではなかろうか。
明治維新だ、大正デモクラシーだと美化された時代、朝鮮半島等における「日帝時代」と同じ抑圧を日本臣民(天皇主権だから国民主権ではない)に課していたのではないか。こんな当たり前のことをなぜ自覚できなかったのだろうか。
その残滓どころではない、明治維新150年を祝い、明治期の英雄にまつわるる歴史ドラマがNHKの後押しで、繰り返し喧伝される。そこで作られる歴史観をそのまま受け入れ、物言わぬ視聴者になってはいけないとも思う。
重要なことは、大日本帝国(1889-1945)と日本国(1945/46-)を、截然と分けて捉えることだ。天皇が神から象徴になって継続しているという幻説に惑わされてはならない。両者に共通する版図(領土)があるとするのはよいが、二つの異質な体制なのであって連続していない、連続するものと考えてはならない。「戦前」「戦後」という区分の仕方そのものが、連続させる意図を内包していると考えるべきだと思う。
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