零れ話: キオク[記憶]

“思い出”を話し合うと、とらえかたは色々である。
自分としては、話す事で擬似体験をしてもらい、相手に理解を深めて欲しのにもかかわらず、些細な事として、話題としてあがらず、肩透かしを食う事も、よくある。
立ち位置、関心の置きどころで、当然、関心に差異が生じるのは、やむを得ない事とは思うが、寂しい思いをするものである。

埋められて 眠くて 眠れぬ 記憶の火

皆さんには、このような経験は無いのだろうか…

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