零れ話: ヒャクニンイッシュ[百人一首]

これは鎌倉の歌人として有名な“藤原定家”が、小倉山荘に閑居していた時、妻の兄の“宇都宮頼綱”に頼まれて、嘉貞元年(1235)五月に、嵯峨中院の障子の色紙形に、古今の歌人の歌を一首ずつ百首選んで書いたのがはじまりといわれている。
ところで、「百人一首 → ひゃくひといちくび」と読み、仏像…、バケモノ…?と勘違いしていた子どもがいた。
阿修羅…、十一面観世音…等から連想したのだろうか。
発声音が同じでも、漢字表記を誤ると、伝言内容が異なる例である。
語彙不足と指摘されてしまうと、反論できないが、話の流れから類推しているつもりだが、時々、論旨に矛盾がある事に気付き、辞書を引き直し、「あぁ、そう言うことか」、納得することが多い。

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