正月七日、七草がゆを食べる習慣がある。
醍醐天皇の延喜十一年(911)正月七日に「七種の若草を供す」と『公事根源』に出ているから、既に行われていたのだろう。
民間では六日の夜から、おけの上に置かれたまな板で若菜を叩きながら、「七草なずな、唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬさきに、七草はやす」などと歌いはやし、その七草を使ったかゆを食べた。
「唐土の鳥」とは鬼車鳥という怪鳥で、小児の衣服に血の滴が落ちると、小児が病気になると言われる。
七草がゆを食べさせて、小児を厄災から守ろうとしたのだろう。
大人達の“親心”である。
零れ話: ナナクサガユ[七草粥]
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