日本が”太陽暦”の採用を決定したのは、明治5年11月9日である。その年の12月3日をもって、”明治6年1月1日” と定めた。
ところがこのとき、こんな布告が出た。
「このたびの改暦については、本年12月1日 、2日の両日を、いま11月30日、31日と定む 」→つまり大陰暦の11月は29日までしかないので、これに余分の2日をくっつけて、12月をなくしてしまったのだ。何故こんなことをしたのかというと、たった2日とはいえ、12 月があることになれば、政府は役人に12月の給与を払わなければならなかったためらしい。
零れ話: 改暦騒動
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