4章回送+終章

回送

 寺院センターでミロンガが行われている深夜、だれも乗っていない明かりの消えた列車が単線の線路の上を山奥に向かって走っていました。ヘッドライトに照らされたレールと枕木のあいだの線路に外来種の雑草がおい茂り、線路の両側にはゴミがうず高く堆積しています。運転手はレールに沿って電車を走らせ、車掌は誰もいない車内に虚しく説教を続けています。漆黒のなか、窓を開けたままの乗客のいない電車が走っています。
 ヒョウが踏み切りのまん中に立って電車の最後部の紅い球状の照明を見ていると、踏切と電車のあいだの線路の上でンヴィニ教徒たちが絡みあい凭れ合うようにして、蜃気楼のように揺れています。電車の行く手には深い断崖があり、後戻りすることはできません。ヒョウには、その風景が確かに見えています。
 その後、ヒョウは老人と司祭たちに会っていません。死の扉からエレベータに乗り込んだ老人と司祭たちが見たのは死の世界だったのでしょう。同行したはずのヒョウは何を見たのでしょうか。どうやら、ヒョウは自分がどこにいるかわからなくなったらしいのです。誰も彼の言うことを聞かなくなって数十年が経っています。ヒョウはもう世間にいない存在になったのです。
 二〇二〇年の春分の日、東京駅構内のドームで、あるいは動く寺院のなかで震動に揺られ、人々が情感を抑えながらアルゼンチンタンゴを踊っています。人々のあいだをぬって、幼児がバタバタと床を鳴らしながら走り回ります。そんな情景が、筆者には確かに見えています。幼児のかん高い声があざ笑うかのように、ネコの鳴き声そっくりに響いているのが確かに聞こえています。

終章

 この読みにくい文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。 読者はこの文章をどのように受け止めたでしょうか。荒唐無稽な記録として黙殺されることを恐れます。周囲の人々はヒョウを認知症患者と呼び、そんな者の観察など当てにならないと言って、聞く耳を持ちません。ヒョウはもう老人を追うことはないでしょう。彼自身一人の老人ですから。
 認知症患者だと自覚しているヒョウはなぜンヴィニ教徒に執着したのでしょう。筆者は二つの要因があると考えています。一つは彼の少年期に対する強い回帰の思いであり、もう一つは時間軸の揺らぎがもたらす不安と苛立ちです。このような関心から、筆者は担当医の許可を得て、ヒョウのメモと治療記録を照合し、彼の不連続な時間軸を再構築しようとしました。そして、個人情報を除き、ンヴィニ教に関する部分を筆者に理解できる範囲で公表したのです。
 これまで認知症について患者の立場から書いたものは多くなかったと思います。ただ、患者数が増えて彼らの行動範囲が広がる一方、自分は認知症でないと信じる人々も増え、両者の接触が急増しています。両者間の摩擦が大きくなる前に、認知症患者とそうでないと信じる人々の違いや共通点を知る必要があと考えたからです。
 そのため、ヒョウのように自分が認知症患者だと自覚し、担当医の治療を受けている人の言動が役に立つとも考えました。ンヴィニ教徒の生態を理解することも大いに参考になるはずです。この文章を通じて認知症患者に対する理解が深まれば、と思います。筆者あるいは読者自身、すでに認知症患者かもしれないし、いつそうなるかわからないのですから。 2020/06/04