名もない魚の群れ
回送電車の場面から数年後、誰も凭也のことを話さなくなり、彼は忘れられた人になりました。なのに、記録係だけは彼の呪縛から逃げられなかった。凭也が老人たちの引力に抗えなかったように、彼の強い引力に囚われ、身動きが取れないのです。
凭也のテントがあった橋に行っても、二〇二〇年の洪水でテントも家具類も跡形もなく流されていました。彼が通った寺院センターのロビーや寺院に何度となく通いましたが、凭也の痕跡は何一つ残されていない。記録係はンヴィニ教を含むいろいろな無宗教派の寺院や教会で過ごすことが多くなりました。初夏のころ、ある教会のカウンター席でスマホを操作しながらガラス窓越しに外を見ると、強風が渦巻いて街路樹の枝を激しく揺らしていた。上空には黒々とした雲がすさまじい勢いで飛んでいる。何か不吉なことが起きるかもしれない。でも教会にいる限り心配はないはずだった。無宗教派は誰でも受け入れるのだから。
「いらっしゃいませ、ご入会ですか……かしこまりました……以上でよろしいですか……カードで……タッチお願いします……失礼いたします……ご入会は二年ごとに更新されます」
若い女の司祭が、語頭にアクセントのある異教徒らしい抑揚で改宗者を相手に機械的なやり取りを繰り返している。実に無駄のないやり取りだ。ちなみに、入会するかどうか尋ねるのは、見学だけの人々が少なくないからだ。この同じセリフの繰り返しが耳について記録係は耐えられない。
ヒューポーヒューポーヒューポーヒュー、ポヒューポーヒューポヒューポーヒュー、ポーヒューポヒュー
教会を出ようとしてドアに近づくと、一台の救急車が大音量のサイレンを鳴らしながら近づき、敷地内に入って停まった。二人の救急隊員がタンカを下ろしてどこかに消え、しばらくすると、タンカの上に一人の老人を載せて戻ってきた。一瞬、その人に見覚えがあると思ったが、定かでない。タンカに近づこうとしたが、蒼白い顔色の人が誰かわからない。
教会を出ると、記録係は川沿いの道を歩き始めました。タンカで運ばれていった老人のことを思い出そうとしながら、小一時間歩いた。一休みしようと川辺のベンチに腰をおろし、濁った川面を見ているうちに眠りに落ちました。どれくらい経ったのか、魚が飛び上がって水面に落ちる音で目がさめたのです。川面を見ると、凭也の顔をした魚が無表情の笑いを浮かべている。瞬間、はたと気づいた。タンカで運ばれていった人は彼が追いかけていた老人の一人だった。
凭也は回送電車に乗っていたに違いない。あれはンヴィーニの葬送儀礼だったのだ。彼らはその電車から川に落とされ、魚の餌食になったはずだ。彼がかつて話していたことだが、河葬で葬られた人々は魚になる、その意味がようやく理解できた。そして、彼が魚になったと知るや止めどなく泪が溢れ、いつしか嗚咽に変わった。
川の魚になった凭也はどんな世界に住んでいるのだろう。川のなかは静かだろうか、あるいは騒音に溢れているのだろうか。ヒトの死骸があると魚たちがひしめき合って波立つのだろうか。無表情の笑いを湛えた彼は、川辺でテント生活をしていたときのように洪水に怯えながら生きているのだろうか。記録係は魚になった彼を見て、尖った顔の表情になぜか安堵しました。その日以来、同じ川辺に毎日のように出かけ、ベンチに腰かけて川面を見つめながら過ごすことが多くなりました。
あれほどンヴィーニを嫌っていた凭也は、なぜ執拗に観察を続けたのだろう。ンヴィーニや異教徒たちに囲まれ、怒りながら生きていた彼はいったい何者だったのだろう。魚になった彼は川の流れに抗い、あくせく泳いでいるのだろうか。川底でゆっくり休んでいるのだろうか。魚になった凭也と次のやりとりをしたように思われますが、定かではありません。
「ねえ君、水中の生活は陰鬱でも不自由でもないよ、君たちの想像をはるかに超えて明るく澄んでいる。いろんな方角から多彩な光が差し込んでキラキラ輝いている。水中はいつも滔々とうねってビートを打っている。そんな色と音とうねりに合わせて魚たちがアルゼンチンタンゴを舞うんだ。毎晩ミロンガも開かれる。急がなくていいけれど、早くこっちにやって来たまえ」
「そうだね、まだ十年ぐらいこちらにいたいと思うけれど、どうせ僕の希望など聞いてくれないだろうから、すぐに会えるかもしれない」
ヒョーヤー、ヒョオヤー、ヒョーオオヤー、ヒョオオオーヤー、ヒョーオオオーヤー
繰り返し凭也の名前を呼んだ。数百とも数千とも思われる魚が数匹あるいは数十匹ずつ塊になって揉み合い、飛び跳ね、ぶつかりながら、黒々とした濁流となって、反時計回りに渦巻いている。そんな情景が記録係の頭に浮かんだ。これこそが魚たちのタンゴの舞いなのだ。そう確信した瞬間、彼はあっけなく渦巻に呑み込まれてしまった。
その後十年ほど経つが、記録係を見たという人の話を聞かない。