戦後における五箇条のご誓文

友人と話していて、彼が1868年に明治天皇が発布した五箇条のご誓文にふれ、その理想主義を高く評価した。僕は戦後における日本国憲法前文の理想主義とその形骸化にふれ、二人の話しは噛み合わなかった。この問題を考えるため、以下 Wikipedia の関連項目より引用する。

戦後におけるご誓文の再解釈

戦後、昭和21(1946)年1月1日の昭和天皇の、いわゆる人間宣言においてご誓文の全文が引用されている。昭和天皇は幣原喜重郎首相が作成した草案を初めて見た際に「これで結構だが、これまでも皇室が決して独裁的なものでなかったことを示すために、明治天皇の五箇条のご誓文を加えることはできないだろうか」と述べ、GHQの許可を得て急遽加えられることになった。天皇は後に次のとおり語っている。

それが実はあの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。(中略)民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発してそれが基となって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います。— 昭和52(1977)年8月23日記者会見

昭和21(1946)年6月25日、帝国議会の衆議院本会議における大日本帝国憲法改正案である日本国憲法案の審議の初め、当時の吉田茂首相はご誓文に言及して次の答弁を行い、五箇条のご誓文は日本の民主主義の原理だとしている 。

日本の憲法は御承知のごとく五箇条の御誓文から出発したものと云ってもよいのでありますが、いわゆる五箇条の御誓文なるものは、日本の歴史・日本の国情をただ文字に表しただけの話でありまして、御誓文の精神、それが日本国の国体であります。日本国そのものであったのであります。この御誓文を見ましても、日本国は民主主義であり、デモクラシーそのものであり、あえて君権政治とか、あるいは圧制政治の国体でなかったことは明瞭であります。

「(日本の)民主主義というものは決して輸入物ではない」「日本国は民主主義であり、デモクラシーそのものであり、あえて君権政治とか、あるいは圧制政治の国体でなかったことは明瞭であります」。いずれもかなり無理のある解釈というか、ほとんど詭弁というべきではないだろうか。僕らは義務教育を通じて、明治維新や帝國議会の発足、大日本帝國憲法の発布について、このような解釈を教えられたわけである。

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