11世紀初めの著作とされる『源氏物語』に魅せられている。その第1帖「桐壺」に帝が源氏の将来を考え、来朝中の高麗人(高麗 고려 918-943)の人相見に密かに源氏の相をみさせる場面がある。下のスライドは縦書き文庫「與謝野源氏」桐壺の巻後段から引用した。1枚目の最終行に「皇子を外人の旅宿する鴻臚館へおやりに」とある。
スライド6枚目に次の文章がある。「光の君という名は前に鴻臚館へ来た高麗人が、源氏の美貌と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである」
11世紀初めの著作とされる『源氏物語』に魅せられている。その第1帖「桐壺」に帝が源氏の将来を考え、来朝中の高麗人(高麗 고려 918-943)の人相見に密かに源氏の相をみさせる場面がある。下のスライドは縦書き文庫「與謝野源氏」桐壺の巻後段から引用した。1枚目の最終行に「皇子を外人の旅宿する鴻臚館へおやりに」とある。
スライド6枚目に次の文章がある。「光の君という名は前に鴻臚館へ来た高麗人が、源氏の美貌と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである」
右大弁と高麗人との筆紙による問答・漢詩のやり取りというのも興味深い。10世紀の京都に倭人と外人とのあいだにこういう状況があった。現代ふうには国際文化交流と表現するのだろうが、基本的なところで違うように思う。
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