旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて 青空文庫「晶子詩篇全集」より |
「晶子詩篇全集」自序 美濃部民子様 わたくしは今年の秋の初に、少しの暇を得ましたので、明治卅三年から最近までに作りました自分の詩の草稿を整理し、其中から四百廿壱篇を撰んで此の一冊にまとめました。かうしてまとめて置けば、他日わたくしの子どもたちが何かの底から見附け出し、母の生活の記録の断片として読んでくれるかも知れないくらゐに考へてゐましたのですが、幸なことに、実業之日本社の御厚意に由り、このやうに印刷して下さることになりました。 ついては、奥様、この一冊を奥様に捧げさせて頂くことを、何とぞお許し下さいまし。 奥様は久しい以前から御自身の園にお手づからお作りになつてゐる薔薇の花を、毎年春から冬へかけて、お手づからお採りになつては屡わたくしに贈つて下さいます。お女中に持たせて来て頂くばかりで無く、郊外からのお帰りに、その花のみづみづしい間にと思召して、御自身でわざわざお立寄り下さることさへ度度であるのに、わたくしは何時も何時も感激して居ます。わたくしは奥様のお優しいお心の花であり匂ひであるその薔薇の花に、この十年の間、どれだけ励まされ、どれだけ和らげられてゐるか知れません。何時も何時もかたじけないことだと喜んで居ます。 この一冊は、決して奥様のお優しいお心に酬い得るもので無く、奥様から頂くいろいろの秀れた美くしい薔薇の花に比べ得るものでも無いのですが、唯だわたくしの一生に、折にふれて心から歌ひたくて、真面目にわたくしの感動を打出したものであること、全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手気儘な詩ですけれども、わたくしと云ふ素人の手作りである点だけが奥様の薔薇と似てゐることに由つて、この光も香もない一冊をお受け下さいまし。 永い年月に草稿が失はれたので是れに収め得なかつたもの、また意識して省いたものが併せて二百篇もあらうと思ひます。今日までの作を総べて整理して一冊にしたと云ふ意味で「全集」の名を附けました。制作の年代が既に自分にも分らなくなつてゐるものが多いので、ほぼ似寄つた心情のものを類聚して篇を分ちました。統一の無いのはわたくしの心の姿として御覧を願ひます。 山下新太郎先生が装幀のお筆を執つて下さいましたことは、奥様も、他の友人達も、一般の読者達も、共に喜んで下さいますことと思ひます。 與謝野晶子 |
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末に生れし君なれば
親のなさけは勝りしも、
親は刄をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四までを育てしや。
堺の街のあきびとの
老舗を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家の習ひに無きことを。
君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
互に人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人の誉れとは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何で思されん。
ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君に
おくれたまへる母君は、
歎きのなかに、いたましく、
我子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母の白髪は増さりゆく。
暖簾のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻を
君忘るるや、思へるや。
十月も添はで別れたる
少女ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰を頼むべき。
君死にたまふことなかれ。
“You Shall Not Die” Oh, brother . I weep for you. Do not die, little brother. You are the youngest, so your parents’ love must have been strong. Did your parents teach you to hold a knife and kill people? Did they raise you until you were 24 years old, telling you to kill people and die yourself? You are the owner of a historic merchant family in the city of Sakai. You carry on your parents’ name, so don’t die. I don’t care if the castle in Lushun falls or not. You probably don’t know this, but the merchant’s family code states There is no such item as killing a man and dying yourself. Do not die, my brother. The Emperor did not go off to war himself. He wants us to shed blood for each other and die in the way of the beast. How can you call that honoring act? Would the deep-hearted Εmperor even think such a thing in the first place? Oh, my brother. Please don’t die in a war. Your father passed away last fall and Your mother has been painfully in her grief. Her son was drafted and she protects the house by herself. Even though this is supposed to be the era of the Emperor’s reign, which was said to be a time of peace and security. Your mother’s gray hairs are growing. The frail, young new wife who lies down behind the curtain and weeps. Have you forgotten her? Or do you think of her? Think of the heart of the young wife who left you after less than 10 months of living with you. You are not alone in this world. Oh, who can I turn to again? Please, brother, do not die. |
Translated with http://www.DeepL.com/Translator |
底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社 1929(昭和4)年1月20日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。 ※底本の総ルビをパララルビに変更しました。被ルビ文字の選定に当たっては、以下の方針で対処しました。 (1)「定本 與謝野晶子全集 第九、十巻」講談社(1980(昭55)年8月10日、1980(昭55)年12月10日)で採用されたものは付す。 (2)常用漢字表に記載されていない漢字、音訓等については原則として付す。 (3)読みにくいもの、読み誤りやすいものは付す。 底本では採用していない、表題へのルビ付けも避けませんでした。 ※ルビ文字は原則として、底本に拠りました。底本のルビ付けに誤りが疑われる際は、以下の方針で対処しました。 (1)単純な脱字、欠字は修正して、注記しない。 (2)誤りは修正して注記する。 (3)旧仮名遣いの誤りは、修正して注記する。 (4)晶子の意図的な表記とするべきか誤りとするべきか判断の付かないものは、「ママ」と注記する。 (5)当該のルビが、総ルビのはずの底本で欠けていた場合にも、その旨は注記しない。 ※疑わしい表記の一部は、「定本 與謝野晶子全集 第九、十巻」を参考にしてあらため、底本の形を、当該箇所に注記しました。 ※各詩編表題の字下げは、4字分に統一しました。 ※各詩編の行の折り返しは、底本では1字下げになっています。 ※「暗殺酒舗」と「暗殺酒鋪」の混在は、底本通りにしました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号1-5-86)を、大振りにつくっています。 入力:武田秀男 校正:kazuishi ファイル作成: 2004年7月2日作成 2012年3月23日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 |
●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 「執/れんが」、U+24360 11-上-10、66-下-13、100-上-6、106-上-6、106-下-5、127-上-12、137-下-2、165-上-4、166-下-6、172-下-7、174-上-12、176-上-8、176-下-5、177-上-1、177-上-1、184-下-2、188-下-11、197-上-4、197-上-12、197-下-2、205-上-3、207-下-1、225-下-11、225-下-12、231-下-7、232-上-1、254-下-7、259-下-1、262-下-10、290-上-13、290-下-14、297-上-1、298-上-7、300-下-4、302-上-7 |
日露戦争が勃発した1904年に書かれた詩だから、今から約120年前の文章が輝いて見える。ロシアによるウクライナ侵攻を映像で見ながら、明治日本の「富国強兵」が何だったかよく理解できるこのごろ、與謝野晶子の詩の一篇がかくも輝いているのはなぜだろうか。
LikeLike