Fragments of memories

以下の文章は縦書き文庫に載せた「記憶のかけら拾遺しゅうい: 個人史の試み」の再掲です。一部加筆修正し、縦書き文庫版にも反映しました。

1950年
文京区本郷の実費病院(厚生省診療所)にて出生
朝鮮戦争<勃発>の四ヵ月前に生まれてすぐ、父の転勤で岡山県和気わけ柵原やなはらの鉱山町へ

1955年
杉並区井荻いおぎの同和鉱業社宅に
木造平屋(六畳2間・四畳半1間・間仕切りはふすま、台所・浴室・汲取くみとり式便所)、庭にスモモのが2本あり実がなるころ毛虫がたくさん付いた
後年、庭に卓球台を置く、同じ造りの家が6軒あり周囲には広い畑があった、小中学校とも至近距離にありよく遅刻した(井荻小学校、荻窪中学校)
幼稚園の帰りに坂を下ると右に畑が広がり遠くに富士山が見えた(井草保育園)
井草八幡や善福寺川で遊んだ、土手の谷あいを川が流れていたころ、上級生と奪い合いながらうなぎったことがある 友人のおばあさんが調理してくれた

1959年
母と妹が仏教徒に
箪笥たんすの上に黒い仏壇が置かれていた、母と妹が日蓮正宗創価学会員になった
猛反対した父は御本尊ごほんぞんこうとし母との深刻ないさかいが連日続いた

(当時、人々はその会を「学会」と呼び、会員を「学会員」と呼んできらった。「無宗教」が普通とされる戦後の日本社会において、神社での祈祷きとうは「信仰」とされず、正月にはみな初詣はつもうでに殺到した。その一方で「宗教」はうとんじられ、「信仰」を持つ人は敬遠けいえんされた。「学会員」となることは「宗教」を持つと同時に人々が習俗として取り込んできた既存の神仏しんぶつを否定することを意味した。一九五〇年代後半から六〇年代にかけて「学会」が全国的に展開した折伏しゃくぶくに対する反発が大きかった。その宗教・文化運動は他の宗教を邪宗じゃしゅうとし、一般の家々にあった神札かみふだを燃やすなどの行為を伴った。その手法が狂信的とみなされ、世間からは「病人と貧乏人の集団」としてさげすまれ敬遠された)

両親の生い立ち
母は一九二七年に東京都文京区初音町はつねちょうで生まれそこで育った、両親は高崎市の農家の出身で若いころ上京し、スリに遭って全財産をなくした。多くの労苦の末に生花店を開業した、末娘だった母は伝通院でんつういんの淑徳高等女学校に進んだ、戦後特許庁に勤めダンス部に属した
父は一九二四年に滝野川たきのがわで生まれ愛知県西尾市西小梛にしこなぎで育った、実家は浄土真宗大谷派の寺で父親が満州で客死かくししたため寺を継ぐが、後に満州に建國けんこく大學で三年過ごす、戦後特許庁の守衛をしながら東京大学経済学部に通い一時期共産党の党員になる

1959年
伊勢湾台風の襲来
集中豪雨ごううで近くの善福寺川が氾濫はんらんし道路が川と化す 川沿いの家は床上浸水し僕の家でも汚水があふれかけた 台風で家が流された父方の祖母がしばらく家にいた

1960年
父の妥協策
父と一緒に日蓮正宗寺院で御受戒ごじゅかい、その帰りFMも聞けるラジオを買ってもらった 労組委員長だった唯物論者の父は偽装入信だったろう
浅沼稲次郎暗殺事件

1960年代
周囲の人々と社会に対する見方の変化
家族に対する人々の見方が変わり世間に対する僕の見方が変わった、後に韓国・朝鮮に引かれる素地そじができたと思われる
家族が「病人と貧乏人の狂信集団」の一員と見られ級友や周囲の人々に対する不信感がしだいにつのっていく

一九六二年 キューバ危機 悪夢にうなされる日々が続いた
一九六三年 JFK暗殺 日米宇宙中継
一九六四年 東京五輪 国立競技場の上段から見た選手たちの矮小わいしょう

1965-1967年
岩手県立水沢高等学校に
「風の又三郎」だった自分
自然科学分野の新書や文庫を耽読たんどく 部屋に化学薬品や試験管、顕微鏡、DNA二重螺旋らせん模型

1965年
砂利じゃり道を自転車で通う
北上川の土手によく行った 運動部合宿で腰椎を痛め体育授業を一年休む、少年期とはまったく違った環境に適応できず
部屋は実験室のよう、顕微鏡でいろいろな細胞を見た、血液型検査の実験で敗血症はいけつしょう

1965年
クラシック音楽に親しむ
三陸海岸の海水浴で沖に流されブイにしがみついていて幸いにも救出された
部屋に安っぽいレコードプレイヤーと大小のレコードがあった

1967年
東京杉並区天沼の社宅に
桐朋とうほう高等学校に編入するが適応できず、下駄げたから革靴の生活になり名曲喫茶に通う 国鉄遵法じゅんぽう闘争のラッシュで身動きできないなか女の痴漢に襲われ女子高生に体を密着される 背景に畑が見えるホームに降り立ち電車のドアがいているあいだじっと見つめていた女子高生

1967年
学校教育から脱落
新書文庫を多読 高三の夏休み萩原朔太郎全集ほか数十冊の文庫を持参し鈍行列車で柵原やなはらへ行き、父の社宅に一ヵ月あまり下宿
「詩の原理」と散文詩、芥川の「河童かっぱ」「侏儒しゅじゅの言葉」などを愛読、おそる恐る足を入れた五右衛門ごえもん風呂がなつかしい

1967-1969年
読書三昧ざんまいの日々
読み終えた本は古本屋に売り別の本を買った アインシュタイン・インフェルト: 物理学はいかにつくられたか; 高価な原書を注文し二ヵ月かけて入手 デーデキント「数について」中江兆民「三酔人経倫問答」などをいつもポケットに入れていた 電車の線路が連続を意味し枕木は整数、レールの継ぎ目はデーデキントの截断せつだんだった

1967-1969年
ファラデー: ロウソクの科学; Chemical History of a Candle、ポーリング: 化学の教科書 「炎はなぜ上昇するのか」科学の発想にせられる、ポーリングの本は教科書よりおもしろかった 摂氏せっし華氏かしの変換式はいまも忘れない

1968年
大学受験に失敗し一浪
高校の卒業式でみな歌っている校歌を歌えなかった、覚える機会のない転校生だった
中村眞一郎: 頼山陽らいさんようとその時代; ヴァカーリ: 英文法通論・英文法詳論 予備校に行かずドイツ語を学びヴァカーリの本二冊で英語を学び直す

1969年
B. Russell: History of Western Philosophy 受験のラッセルにき西洋哲学史をテキストに、受験参考書は山川出版の世界史詳説一冊だけだった
阿部次郎: 三太郎の日記も愛読した

1969年
バロック音楽に親しむ
出隆いでたかし: はいにするが可、高一のとき書いた原稿紙の束を灰に 石神井しゃくじい公園まで毎夜往復二時間歩いた 池のほとりにセロきがいて演奏しているときは立ち止まって聴いた

1969-1970年
仏教思想に接近
母の書棚の本、戸田城聖じょうせい: 生命論・法華経ほけきょう講義、池田大作: 科学と宗教; 政治と宗教; 御義口伝おんぎくでん講義 キリスト教と科学の対立、仏教と科学の併立、宗教=思想という考えに共鳴する

1969-1970年
クラシックの器楽曲を好む
宮澤賢治を全集で読む 「春と修羅」をくり返し読む

1969-1970年
杉並区阿佐ヶ谷に引っ越す
引っ越しは母の独断だった、父との決別を予想して中古の家屋を購入したのだ 慶應義塾大学文学部に入学 第三文明研究会に出入り

1970年
大学をやめモラトリアムに
両親が離婚し父が家を出て三鷹にいた女性のもとへ その後正式に離婚した(父方の叔父の一人と僕が保証人だった)
大盛堂書店社会科学書フロアでアルバイト、 成人式の祝いに母が背広を買ってくれた、山本七平「日本人とユダヤ人」飛ぶように売れる
三島由紀夫事件

1970年
日中学院本科に数ヵ月通う
当時、学院は内山書店の奥にあった 書店内は各国語の毛沢東語録で真っだった
송지학ソンジハク: 朝鮮語基礎、旗田巍はただたかし: 朝鮮史、長障吉ちょうしょうきち: 朝鮮語小辞典、倉石武四郎くらいしたけしろう: 岩波中国語辞典; 初級ローマ字中国語 朝鮮大学を訪ね守衛に門前払いされる、中国語を学ぶ、竹内好・武田泰淳・桑原武夫・加藤周一ほかを乱読した

1970年代
こんな雑誌を読んでいた 「辺境」「三千里」「朝鮮研究」「展望」「朝日ジャーナル」

1971-1972年
書店員をしながら読書三昧
信山社しんざんしゃに就職 レクラム文庫・洋書を担当 神保町から四谷まで線路沿いの道をよく歩く

1971-1972年
二葉亭四迷全集(新書版)、魯迅ろじん全集(新書版) 二葉亭を読み翻訳に興味、魯迅と五四運動に関心

1973-1977
韓国人と仕事をする
大韓航空東京支店に勤務、金大中キムデジュン事件、文世光ムンセグァン事件 創価学会の総体革命論に傾倒、七三年末雲取山くもとりやまに登山 三峰みつみね口から月を見ながら稜線りょうせんを歩き山荘に一泊 양희은, 양병집 넋두리 などのフォークソングを繰り返し聞きよく歌った

1973年
韓国との邂逅かいこう
年末서울ソウル済州チェジュ島に初出張、帰途京都で在日コリアンHに金浦ギムポ近くの旅館から見た白衣のパジチョゴリの老人、先斗町ぽんとちょうの茶店しおり

1973-1977年
アゼリアの仲間たち
母の書棚の本 池田大作: 人間革命、トインビー・池田: 二十一世紀への対話
新大久保にあった社会総合研究所に出入り 夜になると周囲は暗く売春婦が立っていた

1977-1980年
スカウトされ転職
国際開発で前職と同じ業務を担当する 仕事から逃れようとしてしきりに登山する

1978年
崔仁勲チェインフン・田中明訳: 広場 東洋文庫「パンソリ」

1978-1980年
山に親しむ
新田次郎: 孤高ここうの人・氷壁ひょうへきほか 奥多摩の山々に親しみ、毎春上高地かみこうちから涸沢からさわ、北穂高ほだかへ登山

1979年
短い結婚生活
Eと結婚、国分寺に住む 一九八一年に離婚

1979-1980年
The Heart Remembers Home translated by Eileen Kato 司馬遼太郎: 故郷ぼうじがたく候

1980年
英語を学び直す
S. Maugham: Of Human Bondage, D. H. Lawrence: Women in Love 日米会話学院通訳基礎科に在籍、NHK英語ニュースを録音し繰り返し聴いて語彙をふやす

1980-1984年
国際会議事務局の運営
サイマルインターナショナルという虚名きょめいむらがった人々 会議部・教育部に配属、杜撰ずさんな経営で後に倒産した会社だが同僚に恵まれた

1980年代
こんな雑誌を読んでいた 「週刊文春」毎木曜発売、四谷駅麹町口だけ水曜夜発売 「ビッグコミックオリジナル」 ゴルゴ13

1982-1983年
中国神話の崩壊
Nian Zheng: The Longest Night in Shanghai Wild Swan ほど売れなかったが「文革」告発本の嚆矢こうし

1984年
韓日翻訳を仕事にする
浅草橋の事務所にデスクを貸してもらう
近所の小中学生ほか十人ほどに英語・韓国語を教える

1981年
吉里吉里キリキリ人による独立運動
井上ひさし: 吉里吉里人きりきりじん 最高傑作だと思うが、東北方言の翻訳は不可能に近い
ただの抱腹絶倒ほうふくぜっとう小説ではない、砂金という資源やズーズー弁という言語と固有の文化・思想を有し日本国から独立する東北の一地域の物語が突きつけた戦後日本に対する問題提起

1985年
國語こくごという虚構
井上ひさし: 國語元年 帝國日本の共通言語はいかに形成されたか

1984-1987年
海外広報業務
ジャパンエコー社編集部に配属 つくば博海外プレスセンターに出向

1985年
Mと結婚 大田区に在住

1985年
放送大学に入学(第一期生)
休学四年を含め八年で卒業

1986年
娘N生まれる

1987-1989年
カナダ在住
在トロント日本総領事館に出向(文化教育担当領事) 在外勤務のため放送大学を休学

1988年
E. T. Seton: Wild Animals I Have Known 日本語訳は「シートン動物記」

1989-1990年
守口市在住
国際花博協会外事部に出向 英・独バイエルン州・東欧諸国・ロシア・旧ソ連周辺国・アフリカ諸国担当

1990-1994年
ジャパンエコー社編集部・総務部に復帰 放送大学教養学部卒業(卒論: 地方自治体広報資料の多言語化)

1994-1996年
米国の財団に勤務
US-Japan Foundation 東京事務所 青山学院大学大学院に新卒枠で入学

一九九五年 地下鉄サリン事件 三十分ずれたら事件に巻き込まれていた

一九九六年 阪神淡路大震災発生 大学院修了(修論「日本人の対外意識: 内地雑居論にみる原型の形成」)

1999年
帝國日本とは何だったのか
司馬遼太郎: 坂の上の雲 日露戦争に勝ってしまった帝國日本

2000年
大正天皇はイウンに韓国語で話しかけた
原武史: 大正天皇 大正天皇の虚像を崩す

2001年
昭和天皇の虚像を崩す
H. P. Bix: HIROHITO and the Making of Modern Japan

1996-2010年
民間財団に勤務
国際文化フォーラムに勤務
韓国語教育の調査、教師ネットワークの結成

2008-2020年
アシアナ杯事務局
「話してみよう韓国語」高校生大会事務局立上げ運営 一九九七年から蓄積した韓国語事業のすべてを投入する

2005-2006年
毛沢東神話の崩壊
Jung Chang, Jon Halliday: Mao the Unknown Story 朝鮮戦争は毛沢東の了解を得た北朝鮮の南侵という衝撃、中国義勇軍という虚妄きょもう

2008年
欧米式の枠組みに対する疑問
岡本隆司: 世界のなかの日清韓関係史 中国と周辺国の冊封関係と植民地主義の矛盾、欧米流にいえば清朝の属国ながら独立していた朝鮮という矛盾

二〇〇九-二〇一二年
民主党政権 期待のあとの失望と落胆

2010-2012年
出版社編集部 アスクインターナショナル編集部に勤務 韓国関連図書の編集担当

2011年 東日本大震災(東京震度5) 原発神話の崩壊、政治不信

2013-2016年 アシアナスタッフサービスに勤務 アシアナアカデミーの企画運営

2014年
ブログサイトを立上げ
oguris.blog
goolees.blog

2014年
지식공작소(知識工作所)『대한제국 마지막 황태자 영친왕의 정혼녀 민갑완(大韓帝國最後の皇太子英親王ヨンチナン許嫁いいなずけミンカブァン)』を出版、原稿校閲を補佐し写真を提供した 한겨레신문ハンギョレシンムン 関連記事

2015年
アルゼンチンタンゴに引かれる
MTB山行を楽しむ、Bromptonを買ったが韓国まで運んで友人に譲った

2016年-
新大久保コスモシティ
DEKIRU、ワールドファミリーに所属
猥雑わいざつでコスモポリタンな新大久保に通う

2016年
記憶する風景を立上げ 館山の鳩山荘松庵しょうあんに引かれる

2016-2018年
娘 Foster School of Business UW を卒業し帰国して結婚 卒業式に触発され行政書士試験の勉強を始める

2017年
Min Jin Lee: PACHINKO; U.S. National Book Award Fiction finalist
小説の可能性を信じさせてくれる作品であり社会の理不尽りふじんさにしいたげられた人々を後押し鼓舞する力作
六月Seattleのどの書店にも並んでいた、在米コリアン作家による在日韓国人・朝鮮人と彼らを受けれない日本社会と人々に対する深い洞察どうさつと痛烈な批判

2019年
WAKIBITOS サイト立上げ

2021年
創作の試み
縦書き文庫に作品を公開 前年文學界新人賞に応募した作品の一部を掲載

2022年
帝國日本の神話を崩せ
M. Wert: Meiji Restoration Losers
明治維新とは何だったのか 小栗おぐり上野介こうずけのすけ(Oguri Tadamasa)伝説の虚実きょじつ

Photos 1930-1975

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