阿育王塔とおふちの樹

九品仏にある淨眞寺(浄土宗)に行った。何回か訪ねている寺だ。九品仏くほんぶつの由来となった阿弥陀如来像九体を三体ずつ安置する三仏堂のあいだ、少し奥まったところに石塔が建っている。前からそこにあることは知っていたが、冬の西日のせいだろうか、石塔が迫ってくるように感じた。幕末に造られた日本様式の阿育あしょか王塔だという。阿育王は古代インド(紀元前3世紀)に実在した人物である。

寺の裏手にある公園にセンダンの樹があり実がたわわになっていた。調べたところ、日本にセンダンの樹はなく、平家物語巻十一にある「獄門の左のおふちの木にぞけられける」の「樗[おうち]の木」が栴檀せんだんとされるようになったという。実をついばんでいた鳥はムクドリらしい。 

日本古典文学摘集 平家物語 巻第十一
一七一七六 大臣殿被斬

原文
`さるほどに鎌倉の源二位大臣殿に対面あり
 `おはしける所庭を一つ隔てて向かひなる屋に据ゑ奉り簾の内より見出だし給ひて比喜藤四郎義員を以て申されけるは
 `平家を別して頼朝が私の敵とは努々思ひ奉らず
 `その故は故入道相国の御許され候はずば頼朝いかでか命の助かり候ふべき
 `さてこそ二十余年まで罷り過ぎ候ひしか
 `されども朝敵とならせ給ふ上追討すべき由の院宣賜はる間さのみ王地に孕まれて詔命を背くべきにもあらねばこれまで迎へ奉つたり
 `かやうに御見参に入るこそ本意に候へ
 `とぞ申されたる
`東国の大名小名多く並み居たりける中に京の者幾らもありまた平家の家人だつし者もあり皆爪弾きをして
 `あな心憂や
 `居直り畏り給ひたらばとて御命の助かり給ふべきか
 `西国にていかにも成り給ふべき人の生きながら囚はれてこれまで下り給ふも理かな
 `と云ひければ
 `げにも
 `と云ふ人もありまた涙を流す人もあり
`その中にある人の申しけるは
(1)``猛虎在深山即百獣震怖
``檻穽中則揺
`とて猛き虎の深山にある時は百の獣怖ぢ恐るといへども捕つて檻の中に籠められぬる後は尾を振つて人に向かふらんやうにこの大臣殿も心猛き大将軍なれどもかくなりて後はかやうにおはするにこそ
 `とぞ申す人々もありけるとかや
`判官やうやうに陳じ給へども景時が讒言の上は鎌倉殿用ひ給はず
 `大臣殿父子具し奉つて急ぎ上り給ふべき由宣ふ間六月九日また大臣殿父子受け取り奉つて都へ帰り上られけり
`大臣殿は今一日も日数の延ぶるを嬉しき事にぞ思はれける
 `道すがらも
 `此処にてや此処にてや
 `とは思はれけれども国々宿々うち過ぎうち過ぎ通りぬ
 `尾張国内海といふ所あり
 `一年故左馬頭義朝か誅せられし所なれば
 `此処にてぞ一定
 `と思はれけれども其処をもつひに過ぎしかば
 `さては我が命の助からんずるにこそ
 `と思しけるこそはかなけれ
`右衛門督は
 `なじかは命を助くべき
 `かやうに暑き比なれは首の損ぜぬやうに計らひて都近うなりてこそ斬らんずらめ
 `と思はれけれども父の嘆き給ふが労しさにさは申されず偏に念仏をのみ勧め申されける
`同じき二十一日近江国篠原の宿に着き給ふ
 `昨日までは父子一所におはしけるを今朝よりは引き離し奉つて所々に据ゑ奉る
 `判官情ある人にて三日路より人を先立てて善知識の為にとて大原の本性房湛豪と申す聖を請じ下されたり
`大臣殿善知識の聖に向かひて宣ひけるは
 `抑も右衛門督は何処に候ふやらん
 `たとひ頭をこそ刎ねらるるとも骸は一つ席に臥さんとこそ契りしか
 `この世にてはや別れぬる事の悲しさよ
 `この十七年が間一日片時も身を離されず京鎌倉恥を曝すもあの右衛門督故なり
 `とて泣かれければ聖も哀れに思ひけれども我さへ心弱うては叶はじとや思ひけん涙押し拭ひさらぬ体にもてないて
 `誰とても恩愛の道は思ひ切られぬ事にて候へばまことにさこそは思し召され候ふらん
 `生を受けさせ給ひてより以来昔も例しなし
 `一天の君の御外戚にて丞相の位に至り給ひぬ
 `今更かかる御目に逢せ給ふ御事もその前世の宿業なれば世をも人をも神をも仏をも恨み思し召すべからず
 `大梵王宮の深禅定の楽しみ思へばほどなし
 `況や電光朝露の下界の命に於いてをや
 `忉利天の億千歳ただ夢の如し
 `三十九年を保たせ給ひけんも僅かに一時の間なり
 `誰れか嘗めたりし不老不死の薬
 `誰か保ちたりけん東父西母が命
 `秦の始皇の奢りを極めしもつひには驪山の塚に埋もれ漢の武帝の命を惜しみ給ひけんも空しう杜陵の苔に朽ちにき
(2)``生者必滅
 ``釈尊未栴檀煙
 ``楽尽悲来
``天人猶逢五衰日
`とこそ承れ
 `されば仏は
`我心自空罪福無主観心無心法不住法,我心自空罪福無主観心無心法不住法
`とて善も悪も空なりと観ずるが正しう仏の御心に相叶ふ事にて候ふなり
 `いかなれば弥陀如来は五劫が間思惟して発し難き願を発しましますにいかなる我等なれば億々万劫が間生死に輪廻して宝の山に入りて手を空しうせん事恨みの中の恨みおろかなるが中の口惜しき事には思し召され候はずや
 `今は余年を思し召すべからず
 `とて鐘打ち鳴らし頻りに念仏を勧め奉れば大臣殿も
 `然るべき善知識かな
 `と思し召し忽ちに妄念を翻し西に向かつて手を合はせ高声に念仏し給ふ処に橘右馬允公長太刀を引き側めて左の方より御後ろに立ち廻り既に斬り奉らんとしければ大臣殿念仏を留め合掌を翻り
 `右衛門督も既にか
 `と宣ひけるこそ哀れなれ
`公長後ろへ寄るかと見えしかば首は前にぞ落ちにける
`この公長と申すは平家相伝の家人にて就中新中納言知盛朝夕伺候の侍なり
 `さこそ世を諂らふ習ひとはいひながら無下に情なかりけるものかな
 `とぞ人皆慚愧しける
`聖また先の如く右衛門督にも戒持たせ奉り念仏をぞ勧め申されける
 `右衛門督善知識の聖に向かつて宣ひけるは
 `抑も父の御最期はいかがましまし候ふやらん
 `と宣へば
 `めでたうましまし候ひつる
 `御心安く思し召され候へ
 `と申されければ右衛門督
 `今は憂き世に思ひ置く事なし
 `さらば疾う斬れ
 `とて首を延べてぞ討たせられける
 `今度は堀弥太郎親経斬つてけり
`首をば判官持たせて都へ上り給ふ
 `骸をば公長が沙汰として親子一つ穴にぞ埋めける
 `これは大臣殿のあまりに罪深う宣ひけるによつてなり
`同じき二十三日武士検非違使三条河原に出で向かひて平家の首受け取る
 `三条を西へ東洞院を北へ渡して獄門の左の樗の木にぞ懸けられける
 `昔より卿相の位に至る人の首大路を渡さるる事異国にはその例もやあるらん我が朝には未だその先蹤を聞かず
 `平治にも信頼卿はさばかりの悪行人たりしかども大路をば渡されず平家に取つてぞ渡されける
 `西国より帰りては生きて六条を東へ渡され東国より上りては死して三条を西へ渡され給ふ
 `生きての恥死んでの辱いづれも劣らざりけり

書下し文
(1)
``猛虎深山に在る時は即ち百獣震ひ怖づ
`檻穽の中に在るに及んで即ち尾を揺つて食を求む
(2)
``生ある者は必ず滅す
 ``釈尊未だ栴檀の煙を免かれ給はず
 ``楽しみ尽きて悲しみ来たる
``天人猶五衰の日に逢へり
https://www.koten.net/heike/gen/176/

One thought on “阿育王塔とおふちの樹”

  1. 「生ある者は必ず滅す釈尊未だ栴檀の煙を免かれ給はず楽しみ尽きて悲しみ来たる天人猶五衰の日に逢へり」、平家物語冒頭の「祇園精舍の鐘の声諸行無常の響きあり娑羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらはす奢れる人も久しからずただ春の夜の夢のごとし猛き者もつひにはほろびぬひとへに風の前の塵に同じ」と同じ無常観だろうが、「釈尊にして死をまぬがれず」としているところに凄みがあるように思う。

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