何だかだ言っても、結局のところ、おまえも日本の戦後教育のみすぼらしい落とし子の一人にすぎないようだな。その土台は明治以来続いている偏狭な復古主義に根ざしているというべきだろう。
小説「いつか名もない魚になる」に描かれた「寺院」とか「教会」にいて、小説に登場する他に行くところがない人々と同じように決められたことを勉強し、何がしかのことを学んだような錯覚を得て満足する似非文化人そのものではないか。おまえの周囲にいる人々と同類ではないか。
何だかだ言っても、結局のところ、おまえも日本の戦後教育のみすぼらしい落とし子の一人にすぎないようだな。その土台は明治以来続いている偏狭な復古主義に根ざしているというべきだろう。
小説「いつか名もない魚になる」に描かれた「寺院」とか「教会」にいて、小説に登場する他に行くところがない人々と同じように決められたことを勉強し、何がしかのことを学んだような錯覚を得て満足する似非文化人そのものではないか。おまえの周囲にいる人々と同類ではないか。
凭也(ひょうや)、魚になったはずの君はまだ死んでいなかったのだね。ブログとは要するに自問自答の一形式なのだ。小説といい散文詩というも、自問自答を敷衍(ふえん)したものだろう。だから、僕は架空の人物であり魚となった彼と対話を続ける。
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