散文詩という文章形式

Aphorism という語がある。格言集などと訳されるが、萩原朔太郎は散文詩としていたと思う(青空文庫に入っていて驚く)。高三の夏休み、父が単身赴任中で後に再婚する相手と逢瀬を楽しんでいたと思われる一軒家で40日過ごした。毎夕、五右衛門風呂に入るのが楽しみだった。岡山県の津山に近い鉱山町だったが、いまはもうない。

朔太郎の新潮社版全集を1万円ぐらいで購入し、カバンに詰めた文庫本30冊とともに鈍行に乗った。その年の春に岩手県の水沢(現江刺)市から東京の杉並に引っ越し、私学の進学校に転入したが、受験勉強をする気持ちはまったくなかった。だから、読みたい本を小遣いの許す限り買いため、周囲には受験勉強をしてくると言い、東海道線の旅客となったのだ。

朝父が出勤すると誰もいない贅沢な和室で英語と世界史の本を横に置き、勉強しているふうを装った。英語は福原麟太郎編の研究社の教科書とVacali の英文法通論だった、後に詳論も読んだ。世界史は山川出版の史料集だったと思う。僕の受験勉強はざっと、こんなものだった。

朔太郎の詩や詩論をよく読んだ。なかでも気に入っていたのが散文詩であった。気が向くと吉井川の河原まで下っていき、文庫本を読んだ。芥川の河童を河原で読んだのは痛快だった。鷗外訳のファウストや鈴木力衛訳のモリエールも読んだ。紀伊國屋で安売りしていた洋書 the Complete works of Shakespeare も持参し辞書を引きながら読んだ。Faraday; the Chemical History of a CandleEinstein/Infeld; the Evolution of Physics も後に読んだ。いずれも翻訳書を通じて興味を持った。 後者は翻訳書も原書も一般相対性理論までしか読んでいない。それ以上は理解できなかったから。

「いつか名もない魚になる」は、こんな高校生だった作者が55年後に書いた文章である。作者の観察眼は高校生のときに形成されたようだ。ある文学賞に応募したが、<小説>の形式をふまえていなかったと思う。朔太郎のいう散文詩に近いものだったのではないか、予選すら通過しなかったのは当然というべきだろう。散文詩は集束しない、ひたすら放射するのである。

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