候補作には当然入らなければならない。この根拠のない過信ないし執着を支えているのは、恐らく自作に対する愛着であろう。同世代の友人や知人の何人かは好意的に評価してくれたが、そんな彼らも結局は審査員しだいだろう、といった。そのとおりに違いないが、新人賞はともかく候補作には入らなければならない、そう考えてきた。それが肥大して根拠のない確信になったのだ。中間発表に入らなかったとき、どう処理したものか悩ましい。
凭也がンヴィニ教に敵愾心を抱いたように、記録係もその社会や人々に対してドンキホーテに似た敵対心を抱いている。そういう彼らが社会関係のなかでバランスを保って生きようとして、しだいに認知症になっていく。そんな彼らがいとおしい、たまらなくいとおしいのだ。この愛着が僕を過信に追い込んでいるのだろう。
先日お亡くなりになったS先生とトイレで隣りどうしになったことがある。なかなか出るものが出ないごようすで、ふと「これが本当のシッコウユウヨ」と独り言を吐かれた。思わず噴き出してしまったが、あすに迫った中間発表を思い、なぜかそのときのことを思い出した。
LikeLike