時期 | 記憶しているか確かめられること |
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1971-72年 | 信山社(神保町・岩波書店専門の本屋)に就職; 岩波文庫のモデルになったドイツ Reclam Verlag の書籍を輸入する業務・在庫管理を担当し、多くの時間を倉庫で過ごす; 朝鮮高校を卒業した女性(少年の父が採用に関与)から約2ヵ月朝鮮語を習う; 教材は朝鮮高校の教科書だった; [<韓国語>という言葉はまだ一般的でない] |
1973-77年 | 大韓航空東京支店(丸ノ内)の日本地域本部(航空局申請業務)に転職、初め2ヵ月ほど毎朝1時間前に出勤、韓国語の発音を治そうと努めた、韓国人の上司から平壌放送なまりの抑揚を指摘されたからだ(当時はスパイと言われるに等しかった); 同年12月に初めて서울・済州島に出張、年に1度は서울に行った。このころ登山を始める; 初登山は75年冬(?) 三峰口-雲取山(山荘泊)-七ツ石-水根; 無三庵にて篠田先生ご夫妻と出会う。 |
1977-80年 | 国際開発(麹町、フィリピン・スペインほか外国不定期航空会社の総代理店、航空局申請業務)に転職; 79年10月に長年付き合った女性と結婚; 日米会話学院(四ツ谷)通訳コース基礎科に4ヵ月在籍; 77-96年、韓国関連の仕事から遠ざかった20年の間、韓日翻訳に関わりながら次のステップを模索した。 |
1980-83年 | サイマル・インターナショナル(溜池、国際会議の事務局業務)に転職; 81年に離婚; 82年の歴史教科書問題を受け韓国の中学校「国史」翻訳グループで完訳; 「ミンカブァン自伝」の翻訳に着手; 83年に退職し近所の中高生に英語を教える; 知人の事務所(浅草橋)でバイト; 韓国文化院発行「韓国文化」特集の翻訳(制作会社、翻訳料不払い) |
1984-93年 | ジャパンエコー社にバイトを経て就職、Tsukuba Expo ’85(海外プレスセンターの運営)/Tokyo summit ’86/Tokyo summit ’93 プレス資料の編集制作; 85年に再婚; NHK Radio Japan 韓国語放送のモニター(86-87); 外務省に出向し、在トロント日本総領事館広報センターに配属(87-89); Osaka Expo ’90 に出向(89-90); 放送大学教養学部に在籍(85-93 卒論: 自治体広報資料の多言語化) |
1993-96年 | US-Japan Foundation(本部: 米国ニューヨーク州ニューヨーク市)東京事務所に転職、日米間の政策研究・教育交流プログラムほか支援業務; 青山学院大学大学院国際政治学修士課程(93-95 修論: 19世紀後半の国際化論議と内地雑居論) |
1997-2010年 | 国際文化フォーラムにバイトを経て就職; 최정순と出会う; 日本の高等学校における韓国朝鮮語教育調査(99 韓国語併記)の結果をふまえ、韓国文化院の支援を得て教員ネットワーク組織を結成(99)天理大学・神田外語大学に働きかけ韓国語・朝鮮語の教員免許取得のための講習を開講(第1期:01-03 第2期:06-08)、第1期講習をふまえて大学における実態調査の必要を感じ日本の大学等における韓国朝鮮語教育の実態調査を実施(02-05 韓国語版を合冊、韓国大使館教育部ほか支援)、クムホ・アシアナ杯高校生大会の運営(08-20 アシアナ航空支援)、ハンガンネット[韓国語講師・教室ネットワーク]のサイト運営(09-20); 上海人女性から約2ヵ月上海語を習う(09) |
2011-20年 | アスク(10-11 韓国語関連書籍の編集); ニッポンドットコム財団(11-12 翻訳チェック校閲); アシアナ・スタッフ・サービス(13-15 アカデミー・サイト運営); 篠田先生ご夫妻逝く(14);『대한제국의 마지막 황태자 영친왕의 정혼녀: 大韓帝国最後の皇太子・英親王の許婚者』(14 서울 知識工作所 校閲・写真提供); DEKIRU/World Family Inc (15-18 資金移動業の登録申請業務); 日本技術貿易(18-19 特許翻訳文のチェック校閲); 総領事日記(18-21 在大阪韓国総領事오태규の投稿サイト制作運営、日本語版制作220号まで); World Family Inc (20- )に勤務; 伊藤塾の行政書士試験講座を受講(19-20); 少年の父逝く(19); 「いつか名もない魚になる」執筆(20) 公開(21) |
2021-30年 | 辰巳法律研究所の行政書士試験講座を受講(21); 大坪洋一の全作品が問う「韓国併合とは何だったのか」(小説を通じて韓国併合期の日本人と韓国人の実像に迫ろうとするサイト)の制作運営(21); Wakibitos(行政書士試験の勉強と小説執筆のためのサイト)全面改定; Goolee’s blog(2012年に立ち上げたブログサイト)大幅改定; . . . . . 死去(2030) |