都会の川に棲むうを

「おくのほそ道」冒頭の一句、行春や鳥啼魚の目は泪(なみだ)。高校の古文の授業以来、筆者は「うをの目はなみだ」が意味するものを理解できないでいた。単なる擬人法では納得しなかったのだ。この理解の欠落こそ、小説の末尾で凭也(ヒョーヤ)を<うを>に転生させたことに関連していると思う。

凭也が<うを>になったのは、筆者が鳥よりも<うを>を身近に感じていたことを意味する。どういう理由からだろうか。ふつう鳥や蝶のほうが好まれる。都会の黒く濁った川に棲む<うを>など、好ましいイメージではないし、死後そんなところに行きたくはない、と人々は考える。なのに筆者は凭也を<うを>にし、濁流を作る一要素とした。

あえて都会の川という醜い忌避すべきものを取り上げ、主人公を死後そこに棲まわせて、案外そこが棲みやすいと言わせる。そこに筆者の世相の捉え方と世の中に対する距離の取り方や姿勢が表現されている。生死を通じて変わることのない環境と、個としての生命体の一貫性を信じているのだ。限りなく仏教的な世界である。

仏教的世界は多元的だ、極楽(天国)と地獄、善人と悪人のような二元化は本来、仏教とは相容れないものだろう。筆者は多元的な世界を前提しているのだ。

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