応募原稿を送ったあとは解放感に浸れるだろうと予想していた。でも、そうはならなかった。達成感や充足感よりも脱力感に包まれ、一向に元気が湧いてこない。毎年、夏の終わりは体調を崩しがちなのだが、ことしは一層ひどい。
世の中をみる眼が少し変わっただろうか。通りを歩いていても電車のなかで立っていても、視野に入ってくるものはすべて、この小説に描いた枠組みにはまってしまう。本当は自分の枠組みを押しつけているだけなのだが、そうは考えない。それにしても、いま乗っている電車の車内を見回しながら、つくづく思う。みんな「手のひらを見つめて」いる、と。
果ては自分を認知症患者に仕立てて悦に入るわけではなく、鬱に陥っている。そういえば、若い人たちを見る眼が少し老人らしくなってきた。もともと助平だから変わらないともいえるが、その度合いが少し深まったかもしれない。嗤えるなあ。
なぜ、凭也は電車を伽藍に見立てたのだろうか。電車の発車を知らせるオルゴールのメロディがなぜ宗教的な意味を発信している、と考えたのだろうか。もしかしたら、一度小説を書いた者は死ぬまで書き続けなければならないのかもしれない。ひとり鬱に入る。