小説という表現方法(3)

同じ題名の(1)その(2)に共通しているのは同時代や社会を客観的にみて批判することだが、菲才の者にはむずかしい。結局、読者に判断してもらうしかないのだろう。

この小説を完成させる段になって考えるのは、そもそも小説の完成とは何か、ということである。僕のように70歳にして処女作を書き、これが最終作になるかもしれない者にとっては切実な問題だ。

とはいえ、若い人も同じように、そのときどきに完成を求められる。たとえば、原稿提出の締切りが迫っている場合、どこかで区切りを付けなければならない。完成はひとつの区切りであり、それ以上でも以下でもないのだろう。

小説を書くことによって自分自身に一区切り付けることができれば、それで十分なのだ。こう考えれば、完成はその時点で見切りを付けるかどうかの問題に還元される。そう、僕はこの小説にそろそろ区切りを付けたくなった、手放したくなったのだ。

この小説を通じていろいろな人に出会った。たとえば、最後の段階では17 世紀後半の松尾芭蕉であり、18-19 世紀の葛飾北斎である。原稿を繰り返し読んでくださり詳細のご指摘をいただいたK先生に心より感謝申し上げます。

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