ンヴィーニと魚のあいだにどんな関係があるのだろうか。ンヴィニ教の葬礼である河葬しか接点がないのだろうか。小説の末尾で以下のとおり河葬(かそう)の情景を描いているが、これが暗示するものは何だろうか。
繰り返し凭也の名前を呼んでいると、数百とも数千とも思われる魚が数十匹ずつ塊になって揉み合い、飛び跳ね、ぶつかりながら、黒々とした濁流となって、反時計回りに渦巻いている。そんな情景が記録係の頭に浮かんだ。これが魚たちのタンゴの舞いなのだ。そう確信した瞬間、彼はあっけなく渦巻に呑み込まれてしまった。
小説の題名の「いつか名もない」は認知症の症状を暗示し、ンヴィーニは記録係のように自覚症状のない患者を意味する。だから、隠れンヴィーニなのだ。魚たちは凭れ合い、からみ合いながら水面あるいは水面下でタンゴを舞う。死を境に「名もない魚」になるというより、生きながらも無自覚の認知症患者だということになろうか。