『大韓帝国最後の皇太子、英親王の婚約者』と「隠れンヴィーニと老人」のあいだには何の関係もない。前者はカブァン(1897-1968)の自伝であり、後者は筆者による創作である。
カブァン自伝の翻訳に長年取り組んできた者が後者の筆者という偶然から、個人的には二つの文章に連関性があるといえなくはないが、それがどんな意味を持つか大いに疑問である。
カブァン自伝は自らの生涯を記しながら、その時代背景とともに本人の家族観や社会観ないし国家観を伝えている。後世の読者にとっては、時代に翻弄されたカブァンの記録よりもその儒教的な人生観に関心があるかもしれない。
創作にあってはどうだろうか。自伝が事実にもとづいて書かれるのに対し、創作は体験や事実を含むことがあるとはいえ虚構にもとづいている。だが、その虚構を通じて筆者の死生観や社会観を伝えている。
こう考えると、自伝や伝記と小説がどこか共通するものを持っているといえなくもない。40年前に翻訳を手がけたころには考えもしなかったことだ。