第二部は第一部と第三部のあいだにあって、他の部分とは異質の文章になっています。第二部では次のようなことを考えようとしています。
- 仏教的世界に引かれる凭也、白髪の老人もダーラも仏教的なものを暗示する
- 凭也は自覚していないが、認知症の症状を呈している
- 凭也の心象風景とゴー河の光景の交錯が意味するものを掘りさげる
- 他の二部と違い、第二部のディーゼル列車は<動く寺院>ではない
- 日本島と北米の人々の違いはどこにあるのか、ンヴィーニとは何か
第二部の書き出しは次のとおりです。
一九九〇年の夏から二年ほど、凭也(ヒョーヤ)は北米大陸に滞在していたようです。第二部では、治療の過程で彼が話した北米での特異な体験について記します。通勤列車の窓から見た光景と彼の心象風景が交錯するようすは認知症の世界を伝えています。
問題は仏教的世界とは何で、その世界観はどんなものか、ということだろう。それを示していないのは欠点だと言われれば、そのとおりであるし、ここが筆者の限界である。
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