時系列に組み直したときのメモに沿って現時点の構成を整理すれば次のとおり。三部を通して登場するのは、主人公の凭也(ヒョーヤ)と記録係の筆者、そして複数の老人である。
- 1980年ごろ、ンヴィニ教とンヴィーニの紹介、電車とンヴィニ教寺院、伏線としての浅黒い顔の老人・バンドネオンの音曲
- 1990年ごろ、北米ディーゼル列車、白髪の老人・ダーラという女性と主人公、心象風景(凭也の過去の記憶)と認知症、無音楽
- 2030年、50年後の主人公と浅黒い顔の老人との再会、ンヴィーニの生態と主人公、凭也の死、河葬と再生としての魚(うを)、アルゼンチンタンゴの歌
主たる変更は次のとおりだ。各部の独立と連関性の確認しておく。
- 第一部 観察者としての主人公から葛藤する主人公へ、凭也とンヴィーニとの関わりを示唆
- 第二部 都市や河川の名称の抽象化と仏教的世界(samsara)への接近、第三部への橋渡し
- 第三部 ンヴィーニ世界の変貌、主人公と筆者の接近(特に後半部分)、ンヴィニ教寺院の拡大解釈(北米発祥の珈琲店/小型スーパー/電車…)、転生と死
ようやく三部間のつながりが見えてきた。本来ならば、プロットが先に構想されるべきなのだろうが、僕の場合はあとになってプロットを確認しているわけだ。凡才のなせる業ゆえ仕方あるまい。しきりに自分の限界を思い知らされる。