「日本モデル」という用語

新型コロナ感染症の防御策に関連して「日本モデル」という用語を使い始めた人がいるが、何かおかしい。モデルというためには一定の通用性がなければならない、と考えるからだ。

通用性の根拠はそのモデルが持つ科学性に求めるべきだ。科学性を有するかどうかで、通用性の有無を判断するのである。

たとえば、新型コロナ感染症対策について、韓国、スウェーデン、台湾における対応策はそれぞれモデルだといえる。政策が科学的な根拠を示しているからだ。

ただし、あるモデルが一つの地域や国で有効であっても、他の地域に適合するかどうかは断定できない。他方、中国や日本の事例は、それぞれの政府が成功を主張しても、モデルたりえない。科学的な透明性を示していないからだ。

日本語という言語システムのどこかが瓦解し始めているような不安を感じる。この瓦解は大地震やコロナ禍のような要因によって加速されるが、これらの災害より恐ろしいものかもしれない。

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