これまでのコメントを一挙に掲載します。
shaw各章の書き出しと改題(3) ンヴィニ教徒の特徴を捉えて題名にすればよいかもしれないが、そう易しいことではない。たとえば、もたれ合う人々、男女混浴の社会、議論しない人々、ンヴィニ教という無宗教派、日本島の無宗教派、トレインピープル、動く寺院で祈る人々、紅い球体時計に祈る人々、無宗教ですと平然と言える社会、無宗教派を礼讃する愚者たち、などなど
shaw各章の書き出しと改題(2) 1980年、2030年、1990年、2020年という前後する時間軸と風景の関係をもとに認知症患者について描いているのは第3章だけだ。残りの章はンヴィニ教とその教徒について執拗に描いている。題名を変えるべきかもしれない。たとえば「ンヴィニ教徒」「ンヴィニ教とその教徒たち」。だが、その題名だと何のことだかわからないだろう。
shaw各章の書き出しと改題(1) 呆(あき)れる読者もいるでしょう、1ヵ月前に書き上げたはずの文章をいまだに推敲(すいこう)しています。いつ未定稿でなくなるか、楽しみにしていてください。さっそく、このコメントを編集しました。各章の書き出し部分も修正がありそうです。(笑い)
shaw第2章前半…[…] 第3章で場面と時代が大きく変わります。時間軸上では第3章がもっとも古い時代なのですが、XUは第1章・第2章のあとに話しています。第3章の冒頭に老人が登場し、そのあとにGAという女性が現れるわけで、XUとの関係は老人よりGAのほうが深いということもできます。 […]
goolee0時間をなくした人々「時間をなくした人々」と「時間をなくす人々」の違いについて、いくつかの説明ができるでしょうね。筆者であれ読者であれ、この文章が扱う認知症患者に自分を含めるか含めないかが最も大きい違いの一つだと考えています。
ogurisコンビニ教徒 序一人の韓国人女性からンビニ教に対する違和感を指摘され、自分が納得していない点をつかれたので、この用語について再考しました。代案として考えたのが、ンヴィニ教です。
shawコンビニ教徒 「コンビニ教」という語はすぐにコンビニエンスストアを連想させる、だから採用したのだが、逆にそのことがこの語の意味を制約してしまう。そう考えて、2月末に「コン教」とし、その数日後に「ンビニ教」にしたのですが、納得しているわけではありません。山本七平氏のいう「日本教」のような意味を含めたいのですが、浅学菲才の者には恐れ多いことです。