「まえがき」を以下のとおり書き替えました。読者のみなさん、貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。心より感謝申しあげます。
以下の記述は、筆者の担当医が私の口述と記録の断片をつなぎ合わせて復元したものです。治療過程を通じて、1990年より前に私は認知症を発症していたとされています。認知症特有の風景の揺らぎと時間軸の混濁を生じていたからです。
認知症の患者は、決してすべての記憶を失うことはありません。最近の記憶が定着しないだけで、過去の記憶とそれに付随する景色の映像は鮮明に保存されています。ただし、記憶のなかの、過去のある時点における映像と目の前にある光景が結びつくことが頻繁に生じるため、自分がどの時点のどこにいるのか判別できなります。
時間軸と風景のつながりが不確かになり、自分の年表のどこに景色の記憶が保存されているのか特定できなくなるのです。さらにその症状が進行すると、自分が時間軸のどこにいるのかわからなくなり、周囲の人々が誰かも判然としなくなります。
以下の文章は、電車と密接不可分に生活する人々の生態観察の記録にもとづいて、ンヴィニ教徒の無意識層における信仰に関する仮説を提示するものです。読者はそれぞれの記述を現在の自分たちに関するものとみなしてもよいですし、あるいは現在から数十年ほど前後の過去や未来のことと考えても構いません。もちろん、まったく別のことを想像することも読者の自由です。
電車という動く空間が彼らの生態を観察するのに最適と考え、半世紀余りにわたって断片的に記録したものをまとめ、このたび公表することにしました。これまでンヴィニ教について概括的に書いたものはほとんどなかったと思います。ただ、信者たちの活動範囲が広がり、外部世界との接触がふえてきた現在、彼らの行動様式とそれを支える意識下の宗教について概略的な知識を得ることが、外部の者だけでなく、彼ら自身にも必要だと考えています。この文章が一つのきっかけとなり、ンヴィニ教とその信徒が自らを客観し、彼らに対する人々の誤解が解かれることを願ってやみません。