194j 尹東柱の命日に京都で開催された追悼行事とシンポジウム

「あゝ尹東柱」。詩人・尹東柱は「おお」や「ああ」などの感嘆詞を付けて呼ぶのがふさわしいように思います。若干27歳で無念の獄死を遂げた無惨さ、その詩の世界が湛(たゝ)える深い余韻のためです。

2月16日は尹東柱(ユン・ドンジュ 1917-45)の命日です。毎年この時期、詩人が最期に住んだ京都で二つの追悼集会が開かれます。

14日には、彼の下宿があった京都造形芸術大学高原キャンパス前で同学主催の追悼式と献花式が行われました。詩人の命日16日に催す慣例ですが、16日が日曜となり繰り上げたのです。暖冬のせいか、昨年の倍の百数十人が参列しました。

翌15日は、同志社大学コリア同窓会と尹東柱を讃える会の共催で、同志社大学の尹東柱詩碑と良心館において追悼会とシンポジウムが開催されました。この行事は詩人の命日の前週土曜日に開催するのが慣例です。

ことしは同志社大学の詩碑建立25周年の記念すべき年のため、当初は主催者が尹東柱の甥に当たる成均館大学の尹仁石教授ならびに東京や福岡など日本各地で尹東柱を讃える活動をする人々を招待した大型シンポジウムを企画していました。ところが、新型肺炎の問題で尹教授ほかが不参加となり、計画を大幅に修正することになりました。

このような事情があったものゝ行事は盛大で真摯に執り行われました。特に4月に同志社大学学長に就任される植木朝子教授(現副学長)は献花式の午後1時半からシンポジウム終了の午後5時まで参加され、国境を越える連帯を培った尹東柱の詩を讃える祝辞を献じました。

この日の企画変更されたシンポジウムにおいて、1995年に「空と風と星と詩・尹東柱、日本統治下の青春と死」というKBS-NHK共同ドキュメンタリーを制作した多胡吉郎氏(元NHKディレクター)が25年を回顧する講演を行い、質問の時間も持ちました。多胡氏は最近、取材をもとに書いた『生命の詩人・尹東柱』(影書房 2017)を出版し、2年前に韓国でも翻訳出版されています(생명의 시인 윤동주, 한울엠플러스 2018)。

多胡氏は尹東柱を「壁を越えた詩人」と評し、その詩は深いヒューマニズムに根ざした詩句により日韓の壁だけでなく世界中の人々の壁をつき崩す珠玉の作品だと述べました。また、1995年に同志社大学の尹東柱詩碑が起点となり、日本全国に尹東柱とその詩や詩碑が拡散された経緯をありありと解説してくれました。14日と15日、日本という異国の地で尹東柱とともに至福の時を過ごしました。

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