179j 滋賀県のオンドル遺跡、鬼室神社、発酵食品の鮒ずし

11月末、関西地域は紅葉シーズンのまっ盛り、行く先々で最後の紅葉見物をする人々で賑わっています。ソウル市とほぼ同じ面積の琵琶湖周辺も紅葉できれいに染まっています。

28日に滋賀県内で行事があり、予定より早く行って朝鮮に関連ある遺跡を数ヵ所見学しました。滋賀県は古代から日本海側の若狭地域に渡ってきた朝鮮の人々と文物が多いといわれながら、京都や奈良・大阪に比べて滋賀県と朝鮮の交流や関係は一般にあまり知られていません。

滋賀県の県庁所在地、大津市にある大津市歴史博物館に7世紀初めに朝鮮から渡来した人々が遺[のこ]したオンドルの遺構があることを知りました。博物館の建物内にあると思って訪ねたところ、屋外展示でした。案内の学芸員について行くと、オンドル遺跡は博物館の建物の少し下方にありました。

日本は温暖地域なのでオンドル形の暖房がありません。展示されているオンドルは韓国で発見された形式と似ており、朝鮮からの渡来人が作ったことが確実だといいます。説明板にも韓国語の発音どおりオンドルと表示されています。朝鮮の渡来人が住んでいたとされる比叡山ふもとの穴太[あのう]で発見された遺構を大津に移動したそうです。

学芸員によると、日本の数ヵ所で発見されたオンドル遺跡のなかで、ここの展示物が最も形状が完璧だそうです。7世紀初めのものと推定され、初期の渡来人が作って使っていたものの、しだいに温暖な気候のため必要がなくなり、時代が下ると作られなくなったといわれます。

建物の外に支柱を建て屋根で覆って遺構を保存してはいますが、もっと注意深く管理し展示してくれたら、と思いました。

次に大津市から1時間余りの日野町にある鬼室神社を訪ねました。この神社は百済(ペクチェ、4世紀前半?-660)が滅亡して、日本の救援軍および百済の復興勢力が唐・新羅連合軍と白江(現在の錦江)で戦い大敗を喫した「白村江[はくすきのえ]の戦い」(韓国では「白江戦争」)と関連があるといわれます。

7世紀当時、白村江の戦いで大敗した日本の援軍と百済の貴族たちは日本に撤収し、唐・新羅連合軍が日本に襲来するのを恐れ、当時の日本朝廷(天智天皇)は都を一時、飛鳥から大津に遷都しました(667年)。そのとき百済出身の貴族たちも大津に移動したものと推定されています。

日野町の鬼室神社はかつて不動堂と呼ばれていました。江戸時代末期に神社の裏手に白村江の戦いに敗れて日本に亡命した百済の高官で知識人、鬼室集斯の墓碑が発見され、議論の末ようやく1955年に正式に鬼室神社に名称を変更したそうです。

1980年代に鬼室集斯の親族だった鬼室福信が韓国の忠清南道扶餘郡恩山面の恩山別神堂に祀られていることが判明し、それが機縁となって日本の日野町と韓国の恩山面が1990年に姉妹提携を結び交流しています。

日野町小野の住民で百済文化研究会の代表を務める上田良和氏が中心となって鬼室神社を熱心に保存管理し、日韓交流を率いています。この日も上田氏の案内で鬼室神社を視察しました。

視察後、上田氏の家まで行き、お茶と一緒に滋賀県特産の鮒(ふな)ずしをいただきました。鮒ずしは、日本すしの原初として知られていますが、簡単に言えば、韓国のホンオフェ(洪魚膾)に似た食材です。外国人がこれを食べることができれば、どんな日本の食物も食べられるといわれるほど独特の強い臭いがある発酵食品です。琵琶湖で取れた鮒を塩に漬け、米飯と一緒に1年近く熟成・発酵させて作られ、強い臭いのため日本人でも食べられない人が多いといいます。数ヵ月前に臭いの弱いものを食べたことがある私は、勇気を出していくつかいただきました。

上田氏の家で作ったと聞いて、余計にチャレンジしたかったのです。発酵食品の特性でしょうか、初回よりも回を重ねるごとに濃い味を求めるようになり中毒に陥るようです。

滋賀県に行く機会があれば、ぜひ韓国と関連した遺跡探訪と滋賀県伝統の発酵食品の鮒ずしにチャレンジしてみてください。

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